モ ナ ド の 夢

モ ナ ド の 夢

世界的著名人とスピリチュアル

  次は『有名人が語る不思議な霊体験』(ジュリー・バイロン著、近代文藝社)より世界的な著名人が体験した、神秘的かつ不思議な現象をいくつか御紹介したいと思います。


 マーロン・ブランドが目撃した透視能カ

 
 マーロン・ブランド(Brando,Marlon)は、かつて世界的に有名なサイコメトリー術者ピーター・ハーコスの信じられない透視能力を目撃したことがあった。ハーコスは、透視能力を持つ男として知られている。世界各国の警察に協力し、ボストン絞殺事件での業績は有名である。この不思議な能力を初めて体験したのは45年前、家のペンキ塗りをしていて4階から落ちた時だった。脳しんとう、肩の骨折、たび重なる激しい頭痛を患った後に、ハーコスは魅惑的な透視能力を持つようになった。
 
 ある時、警察官がスクーンの石のありかを捜し出すのを物静かなオランダ人の男が手伝おうとしていた。その石は、1950年にウェストミンスター寺院から盗み出されたものだった。犯行現場へ案内されると、ハーコスは強盗が置き忘れた腕時計と犯行に使った道具に手を触れた。ハーコスは、強盗が通ったと思われる道をゆっくりと地図の上で辿った。強盗が男3人と女1人であることがわかる、と言った。3ヵ月後、犯人が逮捕され、ハーコスの言ったことが正しいとわかった。オランダのナイメーヘン市で火事が相次いで起きた後も再び捜査に協力した。最初は、ハーコスの不思議な能力に疑問を抱いていた警察も、ハーコスが署長のポケットの中を言い当てると、考えを変えざるを得なくなった。「少年を捜してください。10代の少年です。」放火現場跡に案内されると、ハーコスはこう言った。忍耐強く卒業アルバムをめくっていくうちに、ついに1人の少年の写真を指差した。「この少年の片方のポケットにはマッチ箱が入っていて、もう片方のポケットにはライター用のアルコールが入った瓶がある。しかし、それはたばこを吸うためのものではない。ハーコスに指摘されたその少年は、ナイメーヘン市で1番の大金持ちの息子だった。警察は不承不承、少年を見つけ出して尋問したが、少年は犯行を否定した。そこで、ハーコスが、激しくこう言った。「ズボンの左側をめくって足を見せるんだ。放火して逃げようとした時に鉄条網の棘で引っ掛けてできた傷があるはずだ。」左足には本当にひっかき傷があった。少年は泣き崩れて放火を認め、精神病院へ送られた。
 
 ハーコスには、マーロン・プランド、トニー・ベネットグレン・フォードなどの有名人を含む多くの支持者や信仰者がいる。ハーコスの透視能力の真偽を確かめるために、マーロン・プランドは、蓋をした2つの箱を差し出した。ハーコスは、ただちに箱から何かを感じ取り、こう言った。「海で起きた火事か爆発のようなものが見える。船に使う金色の大くぎがこの箱の中に入っている。」次に2つ目の箱を注意深く見ると、「この箱には、手紙が入っている。残念だが、綴りが正しくないので何と書いてあるのかは分からない。」と言った。あまりにも正確に指摘したので、ブランドは、仰天して度肝を抜かれた。最初の箱には、英国軍艦「バウンティ」の金色の大くぎが、2番目の箱には友人からの手紙が入っていたが、本当に綴りの間違いが酷かった。なぜわかったのか。ハーコスは、こう説明している。「それは、まるでテレビ画面を見ているみたいに映像がちかちかと光っていて、時々音も聞こえる。ただそれだけのことで、特別に何かを操作しているわけではない。その映像や音が自然と頭に浮かぷだけなのだ。」





 俳優テリー・サヴァラス(Savalas,Telly)はTVドラマ『刑事コジャック』では、禿頭の警官を演じたが、実生活では1957年、幽霊に遭うという不思議な体験をしている。ある晩、ニューヨーク州ロングアイランドの田舎で車を飛ばしていたとき朝3時頃ガス欠になった。サヴァラスはこう言う。「喫茶店に入ってガソリンスタンドの場所を訊いた。言われたとおりにハイウェイへ向かって歩いていた。歩き出した時に背後から高ぶった声で、車に乗らないか、と誰かが言うのが聞こえた。振り返ると黒いキャデラックに男が乗っていた。車に乗せてもらうとスタンドまで乗せてもらった。男はガソリン代まで貸してくれた。私がお金を返したい旨を述べると男は紙に住所と名前と電話番号を書いてくれた。男の名前はハリー・アガニスといった。」
 
 それからしばらくして、サヴァラスは紙に書かれた番号に電話を掛けてアガニスと話そうとした。「電話にはアガニスの妻が出た。そして夫は3年前に死んだと言った。」困惑して頭を抱えたサヴァラスはその女性に会ってあの男が書いた紙を見せた。「すると彼女は確かにそれは夫の筆跡だと言った。私はその男の服装を彼女に話した。すると彼女はそれは夫が埋葬された時に着ていた服装だと言った。」






 

 
 アメリカの探検家であり英雄でもあるバード将軍(Byrd,Admiral Richard)は臨死体験があり、その後、生活観が完全に変わった。死後も最愛の孫娘エヴァリン・クラークのもとヘバード将軍の魂が訪れ語りかけた。バードは、数カ月間の探検で孤独な生活を強いられたが、その体験は著書『孤独』(「Alone」 1938 年)に描かれている。彼の孫娘エヴァリン・クラークはこう回想する。

「祖父と私には特別な信頼関係がありました。私は祖父のお気に入りの孫で、祖父はいつも私のことを“かわいい哲学者”と呼んでいました。私を背負うと森や林に散歩に連れて行ってくれたものです。そして自然や時には哲学的なことを話しました。当時、私はまだ6歳でしたが祖父の話は理解できました。私たちの家族はメインにある湖の近くに住んでいました。湖のほとりの岩に腰かけてよく話をしました。祖父はいつも宇宙に目を向けていてその志は深いものでした。広大な宇宙を眺めている時は声をかけるべきではないことを私は知っていました。ただそっとしておいてあげればよいのです。私たちはよく森を歩きました。祖父はいつも私の手を握ってくれました。そして自然について一緒に考えたのです。祖父はとても物静かな人でした。
 南極大陸の科学的調査の際、バード将軍はガスストープ1台だけで荒れた天候の中、寒さに震えてただ1人で過ごした。エヴァリンは、当時を思い出してこう語る。「祖父は南極大陸臨死体験をしました。南極で瀕死の状態で救出された時はまるで別人のようでした。祖父は霊作用を受けやすい体質の人でした。しかし、その時は祖父の魂が自分自身を生き返らせたのです。つまり、祖父は臨死体験をするまでは自分の魂の指示通りに動くことはなかったのです。臨死体験以来、祖父はよく孤独や自己の探求について話を聞かせてくれました。」
 
 死後、バード将軍の魂はよくエヴァリンに会いに来たという。「祖父は死んでから私の所へよく来ましたが、それは簡単なことをしている時です。何かありふれたことをしている時で、読書など何か複雑なことをしている時ではありません。最初は、台所でお皿を洗っている時でした。背筋がぞくっとしたのです。もし自分の体質についてよくわかっていなければ、ただ驚いただけでしょう。しかし、私は何かを感じ、お皿を洗うのをやめて椅子に座って静かに待ちました。そこへ祖父が来たのです。私の周りを歩き回ると肩にそっと手を載せて、こう話しかけました。『我々の向こう側には光がある。お前は今その光に向かって導かれているのだ。その光を恐れることはない。しかし、その光をどのようにして受けとめるか、しっかり見極めなければならない。それを手伝うために、そしてお前を守るために私は今ここに来たのだ。」このようなことが数回ありました。決して目には見えませんが祖父がそこにいることを感じるのです。祖父はこのようにも言いました。『お前は物事を見極める力が鋭いがゆえにつらいことも多いだろう。』と。祖父はいつも私の側に来て肩に手を載せてくれるのです。私にとってはとても貴重なひと時なのです。」







 幽霊船を目撃したジョージ5世

英国王ジョージ5世は空想や想像に頼るような人物ではなかったが、航海日誌には幽霊船「彷徨(さまよ)えるオランダ船」を見たことが記されており、確かな証拠として注目を集めている。なぜこの「彷徨えるオランダ船」が呪いをかけられて最後の審判の日まで航海し続けると言われるようになったのかという疑問を解くためには、300年前に遡らなければならない。

「彷徨えるオランダ船」は17世紀にオランダに向かって出港した。が、決して目的地に着くことができない運命にあった。ヴァンダーデッケン船長は船と船員を酷使することで知られていた。彼は激しい嵐の時でも海が荒れ狂っている時でも思い止まることはしなかった。強引に航海を進めようとしたが喜望峰からの向かい風のために船はぼろぼろになり9週間目に差し掛かった時にはヴァンダーデッケン船長の神経も擦り減っていた。絶望と怒りから船長は激しく神を罵り目的地であるオランダに到着することができるのならば最後の審判の日まで喜望峰の付近を廻ると誓った。伝説によると天はこの言葉を聞き、突然風が強くなったが、ヴァンダーデッケン船長はますます激しく怒り神を冒瀆した。夜になって辺りが真っ暗になると目がくらむような眩しいほどの光が輝いた。船長と船員が恐れをなして見ていると朦朧とした光が舞い降りて来て船尾の上で止まった。ヴァンダーデッケン船長はこの幻を見てすっかり平静を失ってしまった。船員たちがひざまずいて祈りを捧げていると、船長は突然ピストルを抜き出してその幻にそこから去るように言うと、ピストルを撃ち放った。当然、弾が幻に当たるはずはなく、幻はこう言った。「ヴァンダーデッケン船長よ、お前は必要であれぱ最後の審判の日まで航海し続けると誓った。お前は神を冒瀆したためにそうしなければならなくなった。飲むことも食べることも眠ることも2度と母港に帰ることもできないのだ。7つの海を航海し続け、お前を見た者には不幸が起こるのだ。ヴァンダーデッケン船長よ、神を冒瀆する事なかれ。」
 
 1881年、後の英国王ジョージ5世が16歳の海軍少尉候補生だった時、呪われた船を目撃したことが航海日誌『英国軍艦インコンスタント』に書かれている。午前4時に「彷徨えるオランダ船」が私達の船の舳先を横切った。幽霊としか思えない不気味な燃え立つ光を放つ。その光が発せられているマスト、帆柱や帆からブリグ型の帆船が200ヤード先に頑として行く手を立ち塞いでいるようだった。舳先へ現れた船を見張りの船員が船橋から見付けた。すぐに高級船員が船首へ様子を見に行くように命じられたが、行って見るとそこには何の痕跡も印もなく船という物体は「インコンスタント」の近くにも遠く地平線の彼方にも見当たらなかった。ただの静かな夜で穏やかな波の音がするだけだった。この幽霊船は「インコンスタント」の乗組員の13人と2隻の姉妹船に目撃された。幽霊船を見た者は不幸になるという言い伝えがあるが、この「インコンスタント」も例外ではなかった。「彷徨えるオランダ船」の第1発見者は後にマストから落ちて海の底に屍を埋めることになった。そしてそのすぐ後に海軍元帥が亡くなった。








 米国の未来を幻視したワシントン
 
 米国の未来と運命に関する幻を見たのは他ならぬジョージ・ワシントン米初代大統領だった。1880年『ナショナル・トリビューン』誌(National Tribune)にはジョージ・ワシントンの親友アンソニー・シャーマンから聞いた話をウェスリー・ブラッドショウが次のように話している。「私が最初にアンソニー・シャーマンに会ったのは独立記念広場で1859年7月4日のことだった。彼は99歳で衰えかけていた。しかしその年齢にもかかわらず彼の輝く目は独立記念会館を見つめているうちに再び燃え上がり、再びこの記念会館を訪れたのだった。『中に入ろう』彼は言った。『ワシントンの生涯に関する私しか知らないことを話したいのだ。君も生きていればそのうちこの話が真実であることがわかるだろう。
 
 独立戦争が始まった頃、私たちは様々な運命を体験した。ある時はついていたと思えばついていなかったり、勝っていた時もあれば負けていた時もあった。最も悲惨な時は何度か敗北を負った後にフォージ渓谷に退却して1777年の冬をそこで過ごした。ああ、ワシントンが腹心の将校から自分の部隊の酷い状況を聞くたびに頬に涙を流しているのを何度見たことだろうか。君はワシントンが藪の中へ行き祈りを捧げたという話を聞いたこともあるだろう。しかしそれが真実であるばかりではなく、密かに神に援助と安らぎを乞い、悲しみに暮れた暗い日々を神の摂理によって無事に過ごせるようにとしばしば祈っていた。私は今でもはっきりと思い出すことができるが、ある日、空には雲1つなく太陽が輝いているというのに木の葉がすべて散った木々の間を冷たい風が吹き抜けていた。ワシントンは1人でほとんど半日中軍の宿舎にいた。宿舎から出て来るといつもより顔色が悪く暗い顔をしていた。何かいつもよりも重要なことを決心した様子だった。日が沈みかけるとすぐに戻って来て宿舎にいる側近の将校に伝令を緊急に送った。30分位話をした後、威厳のある不思議な眼差しで将校を見つめるとこう語った。

 「私は自分でも何か不安なことがあるのか、またあるのならばそれは何かということがわからない。このテープルの前に座って伝令への指示を考えていると、何か落ち着かない気持ちがした。顔を上げると不思議なことに向こう側に美しい女が立っていた。私はひどく驚いた。なぜ彼女がそこにいるのかと尋ねるまでに少し時間がかかった。2度3度4度と私は同じ質問を繰り返したがこの不思議な幻は返事をすることはなく、ただかすかに目が上を向いただけだった。そのとき私は不思議な感覚が体中に広がっていくのを感じた。私は立ち上がろうとしたが目の前にいる幻に見つめられて動けなかった。私はその幻の女性にもう1度話しかけようとしたが口が動かなかった。思考能力さえも麻痺してしまった。不思議な強力で抵抗することができない別の力が私を襲った。私はただこの不思議な幻をじっと虚ろな気持ちで見つめているしかなかった。徐々に周りの雰囲気が何かの感情で満たされていくような気がすると、辺りが明るく輝き始めた。周りの様子が変わっていくようでこの不思議な訪問者はさっきよりも幻想的にしかしよりはっきりと私の目に映った。今私は人が死にかけているようなあるいは時々想像していた破局を伴うような胸騒ぎを感じ始めた。私はこの現象を考えてみようともしなければ冷静に論理付けることもしなかった。動くこともしなかった。全く何もできないのだ。私はただ固定されたまま何も考える事なくこの何物かを見つめているという意識があるだけだった。
 
 すると声が聞こえた。『共和国を支持する者よ見よ、そして心に留めよ。』幻の女はこう言うと東の方へ手を広げた。今度は重くて白いもやがどこか遠くで立ち上ると周りを包み込んでいった。しかし、次第に消えていくと不思議な光景が現れた。目の前に広大な世界中のすべての国々の大地が広がった。ヨーロッパ、アジアそしてアメリカがあった。ヨーロッパとアメリカの間を大西洋の大波が轟きながら激しく揺れ動いているのが見えた。アジアとアメリカの間には太平洋があった。『共和国の支持者よ。』先ほどの不思議な声がした。『見よ、そして心に留めよ。』すると天使のように見える暗い影のようなものが立っているのが見えた。それはヨーロッパとアメリカの間の上空に浮いていた。右手と左手で海水をすくうと、右手の水をアメリカに振りかけ、左手の水をヨーロッパの辺りのある国の上に振りかけた。すると水をかけられた国から黒い雲が上り海の中央でつながった。雲はしばらくの間動かないでそこにいたが、ゆっくりと西の方へ動いていくとアメリカを黒く包み込んでしまった。時折鋭い光を放ちながら稲妻が光った。アメリカ国民の溢れんばかりのうめき声と叫び声が聞こえた。

 天使は再び海に手を浸すと先ほどのように水を振りまいた。すると黒い雲は海の中へ沈んでいった。大きな波をたてながら黒い雲は視界から消えた。不思議な声がまた聞こえた。『共和国の支持者よ。見よ、そして心に留めよ。』私はアメリカがある場所を見た。村や町、都市が次々とその場所に現れて大西洋の岸から太平洋の岸までを埋め尽くしていくのが見えた。不思議な声は言った。『共和国の支持者よ。今世紀末(1800年)がやって来た。見よそして心に留めよ。」すると黒い人影は顔を南に向けた。アフリカから不吉な亡霊が現れてアメリカに近づいた。そしてひらひらとすべての町や都市の上を舞った。住人たちは今度は互いに戦闘隊形を成した。そのまま眺めていると、『合衆国」という文字が書かれた光の王冠を被った輝いている天使が2つに分けられた国の1一つにアメリカの旗を立てた。そして『覚えておきなさい。呼吸ができるようになったことを。』と言った。すると住人たちは武器を投げ捨てもう1度友人となり、1つの国家を作り上げた。


 また不思議な声がした。『共和国の支持者よ。見よ、そして心に留めよ。』すると今度は黒い影のような天使がラッバを口にあててはっきりと3回鳴らした。そして海から水をすくうとヨーロッパ、アジアそしてアフリカに振りかけた。その時私は恐ろしい光景に目を見張った。水を振りかけられた国から黒くて厚い雲が立ち上って1つの大きな雲になった。そしてこの雲の塊から赤黒い光が射し、雲と一緒に動いている兵隊たちが見えた。兵隊は地上を行進すると船に乗り込み雲に包まれたアメリカヘと向かった。武装した大軍がアメリカの町や村を焼き払い荒らし回っているのが微かに見えた。私は驚きおののいた。
 大砲の轟く音や、剣が交わる音、死の戦闘の中から聞こえる叫び声が聞こえた。『共和国の支持者よ。見よ、そして心に留めよ。』あの不思議な声がした。声が消えると黒い天使が海に手を浸し、最後にアメリカに水を振りかけた。すると突然黒い雲は運んで来た軍隊とともに立ち去って行った。アメリカは勝利を得た。
 
 再び村や町や都市が元どおりの姿で現れた。輝いている天使がアメリカの中央に青い旗を広げるとこう叫んだ。『空には星が輝き、天から落ちる露で大地が潤う限り、この「合衆国」は存在し続けるだろう。』そして『合衆国』という言葉が記された王冠を外すと、民衆がひざまずいて『アーメン』と唱えている間に王冠を旗の上に置いた。その光景は次第に薄れ始め溶けてなくなってしまった。渦を巻いて立ち上るもや以外は何も見えなくなってしまった。気が付くと不思議な幻を見つめていた。あの声がした。『共和国の支持者よ。今見たことはこのように解釈できる。3つの危機が共和国を襲うだろう。最も恐ろしいのは3番目の危機だ。しかし世界中の国が集まってもこの国を征服することはできないだろう。共和国のすぺての人々に彼らの神のために彼らの国のために彼らの合衆国のために生きていくことを説きなさい。」こう言うと幻は消えてしまった。私は椅子から立ち上がるとアメリカ合衆国の誕生と発展そして運命についての幻を見たという余韻に浸っていた。これが友人のワシントンから直接聞いた話だ。彼が見た幻のおかげでアメリカは繁栄していくことだろう。」プラッドショウはシャーマンから聞いた話をこのように記している。






 リンカーン大統領を勝利に導いた声

 
 マクレラン将軍はリンカーン大統領に北軍の指揮を任されていたが、ある日机に伏せて眠っていると、鼓舞するような夢を見て、その夢が南北戦争リンカーン大統領を勝利に導いた。将軍は、突然部屋が美しく明るく照らし出された時、一瞬眠りに落ちただけかと感じた。その明かりの中から米国初代大統領ジョージ・ワシントンの顔が現れて南軍の兵隊がワシントンに向かっていると警告した。「マクレラン将軍、持ち場で寝ているのかね。起きるんだ。さもなければ危機を免れることはできない。敵はワシントンに向かっている……お前は裏をかかれたのだ。しかしそれは神の御心によるものではない。明日、日が昇り沈む頃には、国会議事堂とお前の墓の上には南軍の旗が翻っているだろう。しっかりと見極めるんだ。時間がない。」
 
 幻の中でマクレラン将軍は南軍兵の居場所が示してある地図を見た。それには南軍の戦略や今にも起こりそうなことも示してあった。目が覚めるとマクレラン将軍は不思議なことに自分の地図にまるで目が覚めている時にそうしたかのようにそれらのことが書き込んであった。この不思議な夢のおかげで彼は南軍のリー将軍を追うことができ、1862年、アンティータム運河で北軍が侵略されることを防いだ。マクレラン将軍に話しかけたのは本当にジョージ・ワシントンだったのだろうか。それが誰であるのかはっきりとはわからないが、米国の未来を予言し続けた。

 「マクレラン将軍よ、私はまだ肉体を有していた頃、米国共和政体が誕生するのをこの目で見た。それは困難で流血を伴うものだったが、この国にも神の御加護があり、そのおかげで最初の難関をくぐり抜けて現在に至る。……神は米国を支え続けた、その力強い腕で。そして勝利へと導いたのだ。あれからまだ1世紀に満たないが、まだ子供だった共和政体も他の国に劣らない地位を高めて来た。あの暗い時代においても米国は神の御加護の下ですばらしい繁栄を遂げた。そして、その繁栄のおかげで米国は今2回目の困難にさしかかっている。これは幼年期から成熟期への過渡期として最も苛酷な試練であり、自己克服という広大な結論に導くことと、将来米国が権力と民衆の先頭に立つためには自制克己すること、自治についての重要な教訓を学ぶことが求められている。この段階ですべての国は今まで失敗に終わっていた。米国も同じように地球の共和政体として神に反すれぱ未来が開かれる前に石が積み重ねられ、人間の自由を埋める最後の墓を築くことになるだろう。しかし米国の叫びは天に昇る香の煙のように境界線を突き破り、救いを受けたのだ。

 ‥‥しかし、まだ使命は終わっていない。次の1世紀が過ぎる時に米国の繁栄を妬む『地球の迫害者』が結集して歯向かって来るだろう。しかし、米国が自らに求められた価値を見い出せば、実際に苦痛を浴びるのは彼らで、米国は最後となる3回目の困難を乗り越え存命し続けるだろう。このようにして共和政体は生き続け、他との境界線が地球の遥か彼方になるまで良心と権力を高め、地球全体がその傘下になった時、世界の共和政体となる。」