モ ナ ド の 夢

モ ナ ド の 夢

─ 心霊研究の黎明 ─  物理学者オリヴァ・ロッジ 心霊研究論文 Ⅰ

 

 形はどこまでも分割できる。だが生命はいつもその外にいる。我々は彼(生命)に出会う時だけ彼の存在を知るのだ

                                                                               テニスン 『記憶』

 


「引力があって物が落ちるのではない」といったのは20世紀最大の科学者アインシュタイン、これに対し ロッジは「死者は生きている」と言う。アインシュタインの説は今では科学の常識となっているが、初めは彼も狂人扱いをされたように、ロッジも当時は人々に冷やかな眼で見られたそうである。だがロッジの説も遠くない将来、単純な真理として受容れられるようになるかもしれない。
なぜ新しい真理はつねにこのような運命にさらされるのか? それは人々が常に“常識”という偏見に囚われているからだ。しかし秀れた人の説く所は我々が“常識”という偏見を捨てて聞いてみると意外に単純な真理であり、なぜ今までそんなことに気づかなかったのかと自分で不思議になるほど易しい真実であるものだ。そしてそれが次の時代の常識を作っていくのである。

 ロッジはまず最初にこれまでの科学の方法と態度をざっと説明して、それではこの問題は扱えないのだと説いてから、生命とは何か、死とは何か、残存人格とは何か、心と物質の相互作用の 実際、心と頭脳、生命と意識などに関して新しい視点からその考えを説く。このように紹介すると如何にも難しげに思われそうだが、その説くところは専門家でなければ解らないとか、難しげな理論で読者を困らすなどといったものではない。いずれも読者自身が自分の身を顧みてよく考えてみれば容易に理解できることばかりである。ただ普通の人は――これまでの科学者たちも含めて――この問題をロッジのような視点から精緻な観察眼をもって見てはこなかった、つまり見逃してきたということが一読すれば誰にでもすぐ解る。そしてロッジはなぜそのように見逃されてきたかという理由にも言及する。

 以上の説明の後、超常通信の方法、超常通信で指摘される事実、超常通信への疑問に答える、超常通信の実際、サイコ・フィジック(精神―物理学)の手段、どのような態度でこの問題に臨むべきか――など具体的な問題の解説に入っていく。超常通信その他について書かれた本が他にないわけではないが、この本の場合はさっき言ったように生命に関する諸問題についてロッジの新しい考えがすでに説かれているので読者には後の具体的問題も理解し易く、また他に例のない説得力をもったものとして受取られるのである。

 


 著者オリヴァ・ロッジについて紹介すると

 オリヴァ・ロッジ卿(Sir Oliver Joseph Lodge、1851年6月12日 - 1940年8月22日)は、イギリスの物理学者、著述家。初期の無線電信の検波器に用いられたコヒーラの発明者である。また、点火プラグの発明者である。1898年のランフォード・メダルの受賞者である。エーテルの研究でも知られる。また心霊現象研究協会のメンバーで、心霊現象を肯定する立場での活動、著述も行った。

 ミッドランズ西部の現在のストーク・オン・トレント市内の生まれ。ロンドン大学で科学を学び、1881年リヴァプール大学で教えるようになる。1900年にリヴァプールを離れてバーミンガム大学に移り、1919年の引退までそこに留まった。

 英国の生んだ世界的物理学者であると同時に、その物理学的概念を心霊現象の解釈に適用した最初の心霊学者である。

 すなわちロッジは目に見えない世界こそ実在で、それはこの地球をはじめとする全大宇宙の内奥に存在し、物質というのはその生命が意識ある個体としての存在を表現するためにエーテルが凝結したものに過ぎないと主張した。その著書は大小あわせて20冊を超えるが、いずれも現実界は虚の世界で霊界こそ実在界であるという、仏教の色即是空の哲学に貫かれている。
  彼は霊の世界について50年以上も研究し、その結果ますます宇宙を支配する超越的知性すなわち神への畏敬の念を深めたと述べている。科学的探究がかえって宗教心を深める結果となったのである。もちろんここでいう宗教心は特定の宗教に係わるものとは違う。

 早世した自身の息子レイモンドと交霊しえたと信じ『レイモンド』を著し、日本でも大正時代に野尻抱影らが翻訳し、川端康成などに影響を与えた。

 ある心霊現象に係わる詐欺容疑の訴訟問題で証人として法廷に立ったことがある。その時、ロッジの前に証言した人たちが口にした"霊の世界"というのは一種の幻覚ですねと尋問されて、ロッジは首を横に振って
「この世こそ幻影の世界なのです。 実在の世界は目に見えないところにのみ存在します。」と返答した。
 
 
 1929年の著書『幻の壁』の中でこう述べている。

「我々はよく、肉体の死後も生き続けられるだろうかという疑問を抱く。が一体その死後というのはどういう意味であろうか。 もちろんこの肉体と結びついている50~70年の人生の後のことに違いないのであるが、私に言わせれば、こうした疑問は実に本末を転倒した思考から出る疑問にすぎない。 というのは、こうして物質をまとってこの地上に生きていること自体が驚異なのである、これは実に特殊な現象と言うべきである。 私はよく、死は冒険であるが楽しく待ち望むべき冒険である、と言ってきた。 
確かにそうに違いないのだか、実は真に冒険というべきはこの地上生活そのものなのである。 地上生活というのは実に奇妙で珍しい現象である。こうして肉体に宿って無事地上に出て来たこと自体が奇蹟なのだ。失敗する霊がいくらでもいるのである。」


                                  

 

 科学的唯物主義の独善と限界

 ロッジはここでは「私の理論にどのような価値があるかないかは私は問題にしない。ただ、この理論は自然の事実の連鎖の中から当然生まれるべくして生まれる理論であること。そしてそれらの事実は私にはすでに知られた事実であって、また人が(知る気なら)知ることのできる事実なのである。私はこの理論を提示することに少しのためらいもない。ただし、これらの事実はいわゆる科学畑の科学的な人といわれる人々の多くに今すぐ受け容れられるとは思わない」といって新科学宣言をしながら、今の言葉の中で上げた、いわゆる科学的な人々。いままでの科学者の非科学的な態度を攻撃し、どうして科学者が非科学的になっているのかを次のように彼らの根拠としている科学的唯物主義の限界と独善を暴くことで理解させようとしている。

 ロッジは次のように言う。科学的唯物主義は次の3原則を柱にしている。つまり

 ①それが宇宙の原因結果を説明する法則であること

 ②メカニズムの原理―――すなわち宇宙に意思が存在するとか、宇宙を目的論的に解釈することへの拒否 

 ③物質や運動の観点から説明することのできない精神とかメンタルな本質的存在が存在するということへの拒否

 以上の3本柱である。しかし、このうち①は科学の共通の資産であって、何も唯物主義的科学が自分1人のものだといって独占的に専有する権利はない。そして②や③を①から導かれる当然の理論だというのは馬鹿げた言い分である。また②を独立の命題として考えても、そんなことは宇宙の全てが解った時に言えることであって、科学者の探究の限界を超えたことである。科学者はもっとも近い近因を探究するが、それ以上は彼の役目ではないし能力も持たない。②はもっと正確に、「実際上の科学はその対象領域を②に限っている」と言い換えるべきである。だから、②はポリシィ(政策)であってフィロソフィ(哲学)では ない。ポリシィはポリシィの有用さを持つのだから、それはポリシィであると認めることでその 限界内で立場を確立すべきである。③については物理学の領域内に限って議論したってその虚偽なことがすぐわかる。確かに熱や音は物質や運動―気体や液体の―に還元して説明することができる。しかし電気は純粋の力学理論などで説明できない“本質”なのだ。

 つまりロッジの言いたいことは自分の限界を知りその限界を超えたものは素直に認め、それについては勝手な臆説で背を向けるなということなのだが、また次のようにも言う。「科学的唯物主義理論の果たしてきた役割は大きいし、大きな貢献をしてきた。しかしその成功がかえって彼らを盲目にし自分らの理論の枠を超えた問題はないと思い込ますに至っている。 そこで彼らはこの種の事実を根拠もなしに拒否するが、それは科学者としての慎しみを自ら捨てることである。」

 ではロッジの立場はどこにあるのか? 科学的唯物主義理論を攻撃するのだから、宗教か哲学がかった唯心論か、等と早合点をしてはロッジは大迷惑だろう。ロッジ自身が物理学者として唯物的方法で物理学を研究してきた人である。(物理学は本来そういうものであろう。少なくとも今迄は)一言で言えば自己の立場とその限界を常に見つめて、その立場の限界内では解決できない問題に直面した時には、その立場自体を変更していく謙虚で柔軟な科学の立場といったものだろうが自己の立場を柔軟に変更することができるのはロッジが独創の人であるからだろう。それはさておき唯心論的な宗教家に対しては次のように言っている。


「私の説く所は心の広い神学者たちの説く所と結果的にたまたま一致した所もある。しかし私は教会の哲学には心を惹かれない。といって教会の哲学を攻撃することもしないが、それはもう少し経てば教会の哲学はもっと上等な科学的知識によって取って代わられるものだと思っているためで、それに賛成だからではない」

 科学的唯物主義を攻撃したと思ったら返す刀で教会に斬りつけた観がある。しかも攻撃しないといって実際は正面攻撃以上の爆弾を食らわせているのである。何しろ問題にもしない、もっと上等の知識に取って代われるのが近いというのだから。そしてその上等な知識とはロッジ理論であることは言うまでもない。ではロッジ理論の立場とは何か? ロッジ自身がこれについては精神と物質の2つを同時に問題の正面に据える2元的立場だと言っている。つまり、今までの科学は物質の分野に関しては科学的唯物主義の立場と方法で研究してきた、しかし著者が問題にしたサイキック、スピリチュアリズムの分野はこの方法では理解も解明もできない。といって宗教家の説くのは事実を超えた信念にすぎない。この分野の問題を理解し解明するには物質と精神の両方を同時に問題にし、両者の関わり合う接点を探究するよりないというのである。この接点を問題にする点がロッジ科学の眼目なのだが、そのような接点があると考えること自体が今までの科学の常識的思考からは考えもつかないことなのでロッジ科学の新しさが人の注意を惹くとともにすぐには受け容れられにくい感じを持たせることになる。

 
 では以下順次、 著書『死者は生きている』で述べていることを摘出し紹介していくことにするが、その前に 一言だけロッジの言葉をそのまま紹介しておく。

 「私の理論の根拠になっている諸事実は私には化学や物理学の分野における原子理論の根拠と同じ程度に確固たるものに思われる。」

 

 


 1 「生命とは何か」

 私は生命とは、物質に生気を与え、いわゆる生命活動を起こさせる1つの本質的な原理、形を持たない原理なのだと定義する。生命を持った物質(つまり生物体)の行動は生命を持たない物質のものとは明らかに違うことは誰でも知っている。このことはメカニックで動く物質の一片の 不思議な動きに対して、まるで生きているみたいだ。などという表現が使われることからもよくわかる。しかし生命の行動が単純な物理学などで把握できるものでないのは言うまでもない。たとえばジャンピング・ビーン(メキシコ産のとうだい草科の植物の種。この中にいる小さな虫の動きによって揺り動く)の不思議な動きは確かにメカニックの原理によって説明されはするが、それでもそれが何時動くのか、どの方向へ動くのかということは予測することはできない。動かしているものが中にいる虫だからである。

生命活動をしなくなったもの(物質)を我々は死んだというが、この物質は生命が置き去りにしていった物質的部分であって、これ自体を完全な生命体とは言えない。しかし、この場合我々が言えるのは、生命という原理がどこかへ消えてしまったというその事実だけであって生命そのもののことについて我々はそれ以上どんな説明もできない。どんぐりの種やその他、草花の種の中に宿っている生命にしてもその生命自体のことは我々の理解の範囲を超えているのである。我々はその生命の活動の結果を知ったり、結果からして生命がそこに、いる。とか、いない。とか言えるだけである。

 生命はそれ自体として考えねばならないものである。それはエネルギーの1つの形式でもないし、その他どんなものによっても説明のできるものではない。電気も生命と同じで他の何ものでも説明できないが、これは全てのもっとも基礎的存在について同様なことである。大抵の物質は電荷(電気を帯びること)を持っているが電荷のことは他の何ものでも説明できず、これも生命の場合と同じである。生命という原理的存在がエネルギーの形態の1つでないことは、生命を宿した植物の種子が無限の世代にわたって子孫に生命を伝えていくことで簡単にわかる、エネルギーは無限に分割することなどできないからだ。

 生命はまた物質やエネルギーを自己の生命の目的――それは主として成長と繁殖である――に合わせて利用する。しかし生命そのものは力も出さなければ働きもしない。しかし、生命はエネルギーを自己が生命活動をさせているもの(生命体)のために適する。形にするどうやってそれをやっているのかその方法は我々にはわからなくても生命は間接的に物質世界と相互作用を行ない、物質世界に影響力を行使している。同じ食べ物がそれぞれの動物に食べられれば豚になったり犬になったり人間になったりするが、それは生命がそうしているわけである。人間の脳とか 神経組織のようなものは非生命の物質の世界には不要なものだが、生命体には欠くことのできな いものである。脳や神経組織は物理的刺激をメンタルなものに換えたり翻訳したりする――あるいは逆にメンタルなものを物理的なものに換える―ための器官である。

 

 

 
 2 死とは何か

 生命そのものがどのようなものであれ、それは我々には1つの抽象されたものである。そこで生命を理解するためには我々は生きているものについて知り、それに共通しているものは何かを見る必要がある。生命体が生きている間は生命は物質をその生命体の性格にそって形成し、エネルギーをその目的のために利用している――その目的とは特に成長と繁殖である。そこで生命体は生きている限りはその複雑な体を衰退と腐敗から防衛している。死は生命が物質とエネルギーに対する統制力を失うことであり、そのあとにはコントロールされない物理的、化学的な力が後に残ることになる。

 死は消滅ではない。精神も体も消滅したり存在しなくなったりするわけではない。体はそれ以前と同じ重量を持っている。ただ1つ失ったものは形成能力だけである。そして我々が生命という原理に関して言えるのはそれがもはや物質的組織に生気を与えなくなったということだけである。我々は生命そのものに関しては、それがもはや活動力を持っていないとか、まだ持っているとか、生きていないとか、いるとかいう議論をすることは、それ以上のことを知らない限り何とも言えない。

 我々が「肉体が死んだという」時、それは正確な言い方であるが、「彼が死んだ」という時には2つの意味にとれるやや不正確な言い方をしているのである。我々が彼の肉体について言っているのならこの言い方は正しいが、彼のパーソナリティについて言っているのなら正しくはない。私はあえて彼は肉体が死んだと同じ意味では死んではいない、彼は肉体の中を通過して去ったのだという。彼の肉体が腐敗するのは彼がそこにいないからであって「彼自身は腐敗にも破壊的な作用にも直面させられるものではない。また肉体についても消滅するのではなく、それは変化するだけだということは 知っておく必要がある。

 彼には不連続はなく、曲がり方の違ったカーブに直面しただけだという言い方をしてもよいだろう。―― 死は誕生と同様に変化ではあっても何ら恐れるべきものではない。我々は誕生においてその状態を変化させ、空気と意味と無量の存在に満ちた世界の中にやって来る。我々は死においてその状態を変化させて別の領域の中へ入っていく――ではそれはどんな領域にか? 私の領域は交信がテレパシーと呼ばれているものによく似た方法でなされ、意思の交流は我々のなじんでいる間接的で物理的プロセスを経ずになされる世界だと思う。そしてまた美や知識は我々の世界と同じに生き生きと感じられ、進歩も可能で、賞讚、希望、愛はより以上の実在感を持って存在している世界だと思う。この意味では我々は “死者は死んではいない。生きている。" と言うこともできる。

 

 

《ルースタニア号の遭難者の手記》

私はここでルースタニア号(1915年5月、北大西洋でドイツの潜水艦に撃沈された英国の汽船)の 乗客だったある女性の手記を紹介しよう。私は彼女がこの災難にあった直後、友人に紹介されて会ったのだが、彼女は魅力のある若い女性で災難直後にもかかわらず快活で、ただアメリカに残してきた夫と友人たちがどんなに心配しているだろうかということを気にしているだけで自分自身はいたって明るく振る舞っていた。この手記は彼女が私の求めに応じて書いてくれ、名前を秘す約束でこの本に載せる許しをもらったものである。死の本質と死に直面した時の人間の心があます所なく描かれていると私は思う。

 

〈手記>
 
 あなたさまのお手紙をいただきうれしく思うやら驚いているやらといったところです。私はエドバストンでお会いした朝、私の話を同情を持って聞いて下され、また私が人間が本当の危機一髪のときにはどのような気持を感じ、どのような人生の展望を得るかを話すのは本当に難かしいと申上げた時に、その言葉にあなたさまが不思議そうなご様子をなされたことをよく憶えています。
 
 あなたさまが私にするようにお求めのことは私には易しいことではございません。なぜなら私にはそれをどんなふうに書いたらわかって頂けるかがよく解らず、私は暗闇の中で手探りしているようなものだからです。でもあなたさまはそれの中からご自身光を見付けられ、その光を他の人々にもお分けしようとされるのでしょう。 「私はあの時の経験にあったときの自分の気持をできる限り忠実に憶い出して書いてみることにします。 それがあなたさまに何かのお役に立つのなら......。 「私があの航海の初めから何が起こるかを知っていたというのは今になってみるととてもおかしなことに思われます。でもそれは本当の実際の知識というものではなく、ただ私ははっきりした悪い予感、航海の静けさと平安がある点では何か大きな事変を待っているといった状態だということを感じていました。それですから船が大爆発 (それはピストルの発砲のように 突然に起きました) によって引き裂かれた時にも、この心の中にあった奇妙な予感のせいで特にこれといったショックは受けなかったほどだったのです。その瞬間のことで私が憶えているただ1つの鋭い感情は犯罪がなされた時に感ずる慨りの気持、眼に見えないけどすぐ近くにいる敵に直面した時の闘争本能だけでした。私は時々あの時の一部の船客の気味悪いほどの平静さもあるいはこの闘争本能――ダイスをやる時のような―――が彼らの心のある部分を占めたせいではないかと思うのです。結局のところ―あれはただの船の難破ではなく戦争の勃発ではありました。

 私は読んでいた本を下に置くと船の他の舷側の方へ回って行きました。そこにはボートの周りに沢山の船客たちが群がっていました。ルースタニアはひどい揺れ方で立っているのも困難でした。でもパニックといったものはどんな種類のものにせよそこには発生していなかったと思います。私はキャビンへ取って返しました。船客係が親切に救命着を着るのを手伝ってくれ毛皮のコートを捨てるよう忠告しました。私はあせりも心配も感じず、甲板へ再び上がって行きました。甲板に立っているのは難かしいことでしたが、私はそこで脇にいた老紳士と助かるチャンスはどうだろうかといった話をしていました。

 私たちが我々の中にはそれが生であろうが死であろうが、いずれにせよ自分たちの眼の前にやって来るものを何でもじっと待つという本能――それは死にもの狂いな生への本能ではありません――がどんなに強く存在しているかを実感として感じとったのはこの時だったと思います。それは私たちに人格を失なわせず、下の甲板に群がって絶叫し死にもの狂いになっている狂乱した群集のようになることを止めさせるものでした。私は自分が水の中にいて――頭上の空のように静かで大きな海の中を難破と地獄的な修羅の場から遥かな彼方にまで漂っていることに気付くまでは自分の最期の交差点を横切って行く時が来たのだとは感じませんでした。私の背後では海に沈んでいく人の叫び、オールのはねかる音、救命ボートで救助作業をやっている人たちの叫び声――などが段々微かになっていきました。私が助けられる見込みはないように見えました。そこで私は自分自身に言って自分の心を納得させようとしました。時はやって来た、最期のしきりを横切る時は来た、お前はそれを知らねばならない。しかし 私の心のうちには執ように叫び続けるものがありました―違う、それは今ではない。

 かもめが私の頭の上を飛んでいました。私はその時の自分がかもめたちの羽からはね返る海の水の青いシャワーの美しさに眼を注いでいたことを今でも憶えています。かもめたちは幸福そうで生き生きとしていて、私を少し孤独の思いにさせました。私の思いは自分の家族の上へ走りました――私に会うのを心待ちにしているだろう、この瞬間には庭でお茶を飲んでいるだろう......。 彼らがどんなに悲しむかという思い、それは私には耐えられないものでした――私は小さな声で泣きました。本の名前が私の頭をよぎります。1つの本の題名が特に。“どこにも恐れるものはない。”それは本当にその瞬間の私の気持を表わしていました。孤独、確かにそうでした、他の者を悲しませることへの悲しみ――しかし恐れというものはありませんでした。事態はとてもノーマルなもの――非常に正常なもの――これから起ころうとする事態の自然な展開というふうに思われました。私はむしろ他界にいる誰かのことを知ろうと思いました。そして、その世界には私を助けにきてくれる親切な見知らぬ人がいるのだろうかと思ったりしました。

 救命ボートが静かに私の背後に漂って来て私が2人の男の手でボートの中に救い上げられた時、 私はほんとにボーダーラインの近くにいたのでした。生命がこんなにも早く戻って来たということは本当にびっくりすることでした――ボートの中の人々は皆とても落着いていました一1人の男は死んでいて、1人の男は気絶していましたけど。1人の女の人がお茶が1杯ほしいと言葉少なに言いました。するとその希望はクインストンから来た掃海艇(海中の機雷を除去する船)の中で私たち全員にすぐ叶えられました。私はその船の名は忘れましたが、その船の乗組員たちの親切は決して忘れることはないでしょう――特に私に乾いた衣服と温いタオルを与えてくれて私を救ってくれた士官のことは。

 私が書いてきたことはあまりあなたさまの興味を惹くことはないでしょう――私には書くのは苦手だからです――でもそれはご存知ですわね。私は自分がボーダーラインの経験をしたことを非常にうれしく思っています。そしてそれが常に如何に身近かにあるものかを実感したことを。
あの日、私には開かれなかったゲートを通って向う側へ行った人も沢山ありました――しかし私は彼らがその時が来たときに恐れを感じたとは思いません――そうではなくて、彼らが何を見たにせよそれは美しいものに感ぜられ、それはある種のことの完成といったものに感じられたと思います。......私はこの世 からあの世へ行くことには何の苦痛もない、少なくとも病気によるのでなければ.....と考える理由を持っています。それは私たちが人生という道の上の1つのステージを通っていくことのように見えたのです。

 


 
 
 3 「死と腐朽」

 生命が去って形成作用を失った肉体について考えてみることにする。しかし、まず最初に私はこのことを考える時にそれと墓の観念とを結びつけて連想することのないようによく忠告しておきたい。生命の去った肉体はむろん葬られなければならない。それはコントロールされることのなくなった肉体の腐敗作用は同じようにコントロールされない火や洪水と同様に危険な自然力として生者の安全をおびやかすからである。また一方、死後に残存する人格と死者の肉体を彼を地の中に横たえる。とか「ここに彼眠る」という語句のように結び付けたり、死体の復活というような観念と結びつけることは非科学的で苦々しいことである。単純でありのままの真実はもっと健全であって人間の想像の産物より清々しいものだと知るべきであろう。 では何がありのままの真実なのか? 私は散文的な見方と詩的な見方からこれを説明してみよう。

 散文的に見れば、腐敗のプロセスは科学的にそれ自体なんら気に食わないものでも何でもない。それは発酵作用その他の化学的、生理的プロセス同様興味深いものですらある。腐敗は毒薬と同じに生物にとって有害なため自己防衛の本能がこれに対して嫌悪の情を催させるだけで 科学的観点からは何らそのような嫌悪の原因になる理由はない。虎はインディアン部落には脅威の的でもハンターには魅力ある存在なのである。

 詩的な観点から見ると詩人たちは、これに様々な美しい言葉の衣裳を着せている。

「彼を地中に横たえよ、彼の美しく清浄な肉体からはヴァイオレットの花が生えいずるであろう」「彼の灰の中から祖国を守る魂が湧き出でる」 などの詩は東西古今に幾らでもある。 庭園の土壌は植物や動物の物質的な残骸の死体収容所であり、ある点から見れば死と腐敗の象徴であるといえる。しかしタンポポは腐敗物の山を隠し野薔薇は廃虚に咲いて自然はこれらの腐敗物を再び美しいものに変えるには時さえあればよいことを教えている。死体は元の姿に留められるものでなく変遷、変移していくものなのだ。

 肉体の眼に見える形は偶然の産物ではない。それはその内部に宿り生気を与える生命という本質が作り上げるリアリティに合致して作られた作品であり、また真の人格の周囲だけでなく、そ の体の周囲にも愛着の情がまとわりつくのである。それは1つの記念品である。さっきのような叙情詩を読む人はその者にまとわりついていた感情を知り、その者の歴史を感じとり、その者の生きた状況をも感じとるであろう。

 このような叙情詩からその詩の表面に表わされている以上のことを知ることができるのは疑いない。しかし現在はその理由が理解されていないもう1つの方法によってもそれを知ることができる方法がある。ある感覚を持った人々は自分に無関係な種類の叙情詩、小さな品物の断片、人の持ち物などからその人の歴史、人間関係などについて直観的な洞察ができるということは如何にも迷信的に聞こえる。しかしこれは経験上の事実なのである。この能力はサイコメトリー(物に接触してその物の過去、未来、運命や所有主その他その物に関連する全てのことを知るという神秘的能力)と呼ばれていて水脈探査人(木の小枝をもって地上を歩き、小枝のふれ方で地下の水脈のありかを知る水脈探査法をする者)のそれよりもっと理解しにくいものである。 サイコメトリーに関しては多くのことが書かれてきたが私も一言付け加えておこう。 この事実の意味がもし正確に理解された時には私にはそれは心と物質の関係を理解するためのある光を投げるだろうと思われる。そして多くの半科学、半迷信的分野の闇も照らし出されそうである。しかしそれまではこの平坦でなく危険も多い分野は用心深く歩き、深く踏み込まない方が多くの人々にとって少なくとも安全ではあろう。

 


 
 4 「過去、現在、未来」

 我々の実際の経験は奇妙に限られていて、現在と呼ぶ一瞬のフラッシュでしか我々は 直接的に外の世界を把握しない。だが我々の実際の存在はこれより広く過去、現在、未来の中に同時に生きているのである。現在が現在だけのものであったらそれは我々には何の意味も持たないものとしか思われず単調で退屈至極なものでしかないだろう。我々は記憶の過去、実際の現在、展望の未来を同時に自分のものとして生きている。我々はどこからやって来てどこへ行くのかということが人間の関心の対象となるのはこのためである。そこで人間の死後の残存ということも生き生きとした意味を持つ大事な問題となるわけである。

 死が消滅でなく離脱だとすれば、その離脱の向う側では精神的な活動主体は生き続けそれは他の同じ精神的活動主体と相互の交流を持つに違いない。テレパシーの事実は肉体的器官が意思の 交信のために必しもなくてはならぬものでもないということを証明している。心は他の心にダイレクトに通じ、物質的手段によらないでもそれを刺激できることが明らかになっている。物質の 世界に属さないでもそれは“活力"によって作られたメカニズムを通じて影響力を行使することができるのである。しかし、それがどのようにしてなされるのかという方法は全く解らないし、 我々がそのことになじみがない以上、そのような交流が可能だということは奇妙でびっくりすることに思われる。だがそのような所では心はもっと伸び伸びとしてダイレクトで活力のあるものになっていて、もはや精神と物質との間の相互作用の必要などはなくなっている。脳や神経のメカニズムのせま苦しい働きも消え肉体の場所に束縛されているという空間的な関係も消滅しているのだと想像することはできないことでもない。

 経験が我々の指標である。この特殊な領域に関する実際の観察や実験に、先入感や頑迷な偏見などから眼を塞ぐ人々は、科学的と言われる人々の中にさえ非常に多い。しかしこれは真に非科学的な態度である。ある人々は肉体を離れた心に活動力があるというようなことを考えるのは馬鹿馬鹿しいと言い、ある人々はそれは神を敬わぬこととし、ある人々は賢明にも自分の能力のなさを上げてこの分野の探究から尻込みする。しかしこれが確かめられるべき事実とすればパイオニアにはそれを確かめようと努力する義務があるはずである。

 

 

 5 「心と物質の相互作用」

 生命、心、意識といったものはその正体がどんなものであるにせよ物質の領域には属さないものである。これらは物質を利用し、それに支配力を行使するが、物質やエネルギーとは完全に違う何かである。

 物質はエネルギーによってアレンジされたり動かされたりするが、またしばしば生命や心の命令によってもそうされる。心は力を行使しなければ物理的な領域にも入り込んでは来ない。しかしそれは心が間接的な仕方で、もしそうしなかったならば生じなかったような結果を生み出す。 それは動きや組織、構成をその性格に応じて作り出す。鳥は羽根を生やし巣を作る。生命はそれをどう指し図し、どう完成させるのかはまさに1つの神秘であるがこれはごくありふれた観察された事実でしかない。1本の指の動きから飛行機の製作までそこには一連のステップがあるだけである。一粒の種の成長から鷹の飛超まで生命の組織し指図する力が物質を指揮しているのは明らかである。

 精神が物質に対して優位にあるのを誰が疑うことができるか? この事実はほんの小さな例でも示されるが、もっと大きな分野についても同じである。

 心と物質の間の相互作用がもし本当に起こるものなら、そして両方ともが恒在の"本質"であるなら、その相互作用の起こる可能性の領域には制限はない――その制限は前もって設けられるべきはずはない。我々はただ経験によって導かれ、教えられるべきである。
その作り出す結果が不思議なものであるかどうかはただ我々の知識がどれだけのものかということによって判断されるだけである。白人に初めて会った土着民は白人を超自然的存在と思ったに違いない。手紙、銃、それに入れ歯だって迷信の材料になる。人がなじんでいる自然と比べてこれを超越する力が存在する時、その力は超自然的なものと思われ、人はこれに宗教あるいは迷信的態度で応ずることになってしまうのである。

 

 

 6「 心と脳髄」

 記憶は脳の中にあるとしばしば考えられている。また確かに記憶が思い出されたり、書き出されたり、口に出されたりする時には脳の中で何かの生理的プロセスが働くのは間違いないのであろう。しかしこのことは記憶が脳の中にあることをすぐに意味するものではない。メンタルなものの総体の貯水池の中から1つの考えを引出して、これを意識の中に持ちきたし、必要な神経と筋肉を刺激して記憶を再生するのに適した状態にするためのある能率的なチャンネルとか常置されている通路とかいうものが脳の中にはあるに違いないが、それでもやはり記憶が脳の中にあることにはならない。 ものを記憶するため人はよくそれをノートに書く。そしてこの場合、記憶は脳の中にあるというのと同じ正確さでノートの中にあるということもできよう。1つの生理的プロセスがそれをノートの中に書く、そこには1つの生理的な配置が存在する。そしてこれと反対の生理的プロセスが繰返される時にそれは人が単純にノートを“見て読む”と呼んでいる行為によって記憶の中に帰ってくる。しかし真の記憶はいつでも心の中にあるのであってノートの中の“預金”はそれを呼び出し、再発見を容易にするための止め金にすぎない。ある情報を伝えるとき我々はそれに注意を集中しなければならない。そしてその注意は脳の中のある部分に集中しようが、ノートのある頁に集中しようがほとんど問題になる相違はない。注意はそれ自身はメンタルなプロセスであって、たとえ生理的な付随行為を伴うにせよ、それ自身は生理的プロセスではない。

 以上のことは心と物質の関係という我々の目下の問題にとって鍵になる重要なことである。これはこの本の中でも議論の多い部分だと思うので私はもう少し詳しく述べることにする。 よく使われる比喩を述べよう。それは生物の習慣と記憶、それに無生物の物理的プロセスの反覆とを対比させるものである。たとえば伸縮する螺旋状のバネ、これは前に巻かれた時の記憶を次に渦を開く時には呼び戻す、また歯車は何度も繰返して回転するうちスムーズに回転するようになるというのがこの種の例である。もう一方の例は長く使われたヴァイオリンはよりよい音色を出すようになるとか、何度も人が通った道は人の足によくなじむようになるというものである。一部が雑草に覆われて形が変わったばかりの花床はその雑草の間から球根とか半ば忘れられていた植物が芽を出してくる時にはまた元の形を示す傾向がある。

 この最後の例は無生物の世界でなく意識のない世界に明らかな記憶があることを示す衝撃的な例である。動物の世界を見るときこのような例が広く認められるのは疑いない。種族の記憶が本能の驚くべき例を説明するものとして思い出される。巣を作る鳥、新しく孵った小鳥が正確に餌をついばむことなど......。孵ったばかりの小鳥の脳の中に経験が宿っているわけはないのにである。

 成長した動物の脳の中には貯えられた記憶があってこれがある行動を容易に行なわせる役をするというのは驚くにあたらない。何かの物理的あるいは生理的な随伴物が記憶されているのは明らかだからである。しかし、このことはやはり記憶それ自体、または何かの種類の意識が脳の中に位置を占めて存在するということとは明らかに違ったことである。確かに脳というものがなければ少くともこの地球上の生命活動に関しては、意識は外に顕わせず、他の者に理解されるものにならないということは本当であるにしてもである。
 
 プロティノス(205~270 新プラトン派の哲学者)はこのことをやや極端な表現で言っている。

 ――記憶に関しては肉体は邪魔ものである。……いつも不安定で動揺している肉体というものの性質は記憶のために役立つより忘れるためによく役立つ。肉体は本当に忘却のリースィの河である。記憶は魂に属しているのだ。


 事実の実際の再生(記憶を呼び起こすこと)記憶を外に示すことと記憶を実際にすることが脳や筋肉のメカニズムによってなされていることは疑いない。しかし記憶それ自体は本質的にメンタルなものであり、最初に記憶を受けとったり貯えたりする時に働く肉体的メカニズムを離れても存在することは確認されている。そしてそれと同じか、あるいはそれと同じ役目をするメカニズムなしに人間が記憶を知ることができない、したがってそれなしには人に記憶を示すことができないとしても、私の経験では記憶の再生にはそれの貯蔵の時に必要なものと同じ器官が絶対的になくてはならないものでもないことは明らかなのである。むろん同じ器官を使うことが一番容易で効果的ではあるけれども。エジソンの蓄音機でも初期のものは録音と再生に同じ装置を使っていた。しかし後にはこの2つは別の装置でやるようになった。このことは記憶という精神的な貯蔵物がその中味の一部分を他の生命体に対して伝送するのにテレパシー的あるいは遠隔精神作用的(普通の感覚器官を通さないで知覚を送ったり受けたりすること)プロセスを使ってもできることを示すメカニック面の比喩になると言えそうである。

しかし疑わしく不確実なことと考えられ易いこの種のことを離れて考えてみても脳と意識の関係についてはある事実が存在する。これは広くめ認られているものなのだが、但しばしば誤った解釈がなされているものである。脳を傷付けると意識が失なわれる。 “失なわれる”という言葉は正しく、破壊される、ではない。傷を治すと記憶が再び戻って来るのである。つまり 意識の正常な外界への表示がもう一度起こるのである。我々が脳の傷害の結果についていう時全てのケースの場合それは意識のディスプレィに関して言っているだけなのである。意識の外部表現には肉体器官の使用が不可欠である。もし肉体器官が存在しないとか、ひどくダメージを受けたときには意識の外界への正常な表示は不可能である。しかし、この事実は誤って解釈されやすい。 一般的には物理的現象に対する感覚は感覚器官、神経、脳髄を通さずに受取ることはできえない。物理的現象に対する着手、それを始めることは脳髄、神経、筋肉を通さずしては起こしえないと言える。物理的現象を離れて意識というものの存在を知ることはできない。だが我々は そのことで意識が存在しないのだと断定することはできない。一般的な言い方の場合はこのように完璧で厳密な事物の側面を云いたてることは必要ではない。それは不正確で軽率な表現の仕方のために誤った見解が流布している場合に必要になるだけのことではある。

 モット博士は中枢神経組織の機能に関する優れた講義の中で「意識にとっては常に酸素の供給がなされることは必要不可欠である」といっている。この言葉が言っていることは非常に明瞭である。しかし厳密に分析してみれば、この言葉は言いすぎである。我々は酸素でも何でも意識と関わりを持つ物質については本当には知らない。博士の言葉が本当に意味しているのは、「酸素の供給がなければ意識はそれを物理的信号によって外に表現することはできない」という意味だと私は考えている。

 意識の物理的表現が部分的に阻害された場合のことは、たとえば脳の言語中枢だけが障害を受けた場合などの例として次のように説明されよう。このような時、人がただ口の筋肉だけを頼りとするとすれば、我々は意識が離脱してしまったとか、あるいは意識は存在しなくなったのだというかも知れない。しかし腕の筋肉はまだ脳のコントロール支配下にあって書くことによって意識はつ常存在していることを示すことができる。これは単に喋るという意識を表現するための1つの、簡易なやり方が抑制されたというにすぎない。ある場合には抑制がもっと広範である場合もあろう――そんなケースについては我々はほとんど知るところがない。しかし、部分的なものについては我々は相当に知っているのである。


 
 モット博士の講義から彼の診療したある戦争神経症のケースを要約して紹介しよう。

 ―彼らの心の中の黙想はちっとも不完全でないのに、どうして彼らは喋ることができないのか? 彼らは聾ではない限り自分に対して言われることを完全に理解する。そして彼らの心の中の言葉は少しも障害を受けてはいない。なぜなら彼らはたとえ聾であったとしても自分の考えや判断を書くことで完全に表現することができるのである。だから緘黙症は知能の欠陥のためでもないし、心の中の黙想の言葉が自分自身の意志によって抑圧されているためでもない。声を出すことや喋ることへの最初の刺激である聞くことは大ていの場合少しも障害を受けていないのだが、彼らは話すことはむろん、囁くこと、咳をすること、口笛を吹くこと、声を出して笑うことさえできない。しかし、これら自分から話すことのできない者でも多くの者は夢の中で戦争をしていた時に彼らがよく使っていた叫び声などは発する。そして時にはその後で話す能力が蘇ってくるが、大ていはそうならない。夢の中でいつも叫んでいた1人の患者は戦争神経症と判定されて病院に入れられてから8か月経つまで自発的に話すことや声を出す能力を回復しなかった。


 これらの興味ある事実は我々の単純だがしばしば見逃されてきた理論に多くの光を投げかける。つまり我々は普通は物理的な現象を通じて、その助けをかりて我々の願望、印象、考え、記憶を把握し、あるいは他人に伝えているということである。メンタルなものから物理的なものを切離してしまうと交信は消えてしまって不可能になる。そしてまた物理的なものとメンタルなもののつながりを回復させると、それが不完全な形のものでも初歩的な交信は再び復活するのである。
これは人間の意識の交流の基本原理であるが、我々はそれを理解しているか? 我々は自身の心が自身の体にどのように働きかけているかを知っているか? 我々はそれがどのようになされているかということを実は知らないのである。

 我々は一つの心が困難と不完全さとをもってではあるが、一時的に他者の体にどのようにして働きかけ、それを自分の指揮と統制にどのようにして従わせるのかを知っているか? 我々はそれを知らない。では我々はそのようなことが実際に起こるという事実は知っているか? これは問題―証拠の問題である。私はこの問いにははっきりと答える――理論の問題としてでなく―それはまだ理論から程遠いところにあるのだから―― ありのままの経験の問題として答える。誰でもこの経験を得るだけの労を惜しまなければ私と同じ結論に至るのだと。

 人々は生命に自分の体と脳髄を完璧に利用させ切っているか? いや、とても完璧にどころではない。その1つの利用方法さえ満足にとは言えないだろう。多くの人々にとってそれは多分は不可能なことだからである。催眠術にかかった人々とか求めに応じて自分の肉体的メカニズムをこの目的のために提供するミディアムたち自身もそのプロセスがどんなものかということについては完全には知っていないようである。ミディアムたちは彼らの特殊な能力に関して我々に教えてくれるべきものをおそらくは持っていようが、それは極めて小部分のことに違いないのである。我々は彼らの語るところによりも彼らのすることから学ばざるをえないのである。

 外部からの観察者や実験者としての我々は、つねに感覚を研ぎ澄ましている一方で自分自身は特殊な能力とか感受性とかを発揮しないようにしなければならない。これが少なくとも科学的探究の観点から見た場合はそこで起こることの全てを記録し判断するのに最も大切なことだからである。我々は注意深く批判的な態度を持ち、あるいは時には懐疑的な気持でことに対すべきであるが、同時に忍耐強く沈着で公正でなくてはならない。我々は初めからそれが可能なことだとか不可能なことだとかといった先入観を持ってはならない。我々はただ事実を知りそれに導かれるよう心がけ、独善的なドグマに陥らないようにしなければならない。そうすればやがては真実が姿を見せ、それは我々の心の中において他の実証科学の分野と同じように確たるものとなっていくであろう。