モ ナ ド の 夢

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「宇宙の真理」天理教篇③

 次に「月よみのみこと」と「くにさづちのみこと」の守護の理について述べてみましょう。「月よみのみこと」は男性的道具神格、天では破軍星、人体では男一の道具、骨つっぱり、世界では立毛草木よろずつっぱり、地上より自ら立っているものの守護の理、「くにさづちのみこと」は女性的道具神格、天では源助星、人体では女一の道具皮つなぎ、世界では金銭、縁談、よろずつなぎの守護、と教えられています。ここで「月よみのみこと」は天では破軍星として現われ、「くにさづちのみこと」は天では源助星として現われるというのは恐らくこじつけに過ぎないと思います。破軍星は北斗七星中の1つでありますが、中国の占星学で説く破軍星の性格と天理教で説く「月よみのみこと」の守護の理とは全く一致する点がないと思います。また源助星というのはどの星か知りませんが、これも「くにさづちのみこと」の守護の理とは関係ない様に思われるのであり、破軍星と源助星のことは無視してもよい性質のものと思います。
 
 さて「月よみのみこと」は人体では男一の道具というのは男性性器のことを表わしているのであり、「くにさづちのみこと」は人体では女一の道具と言うのは女性性器のことを表わしているものと言えるのであります。男性性器は凸型であり女性性器は凹型であり、凸凹の結合は陰陽和合であり、数学的物理学的に言えばプラスとマイナスの結合であります。そうしてそれは2つの相反する力が結合して新しいものを生み出すことでもあり長短補い合うことでもあります。「月よみのみこと」の徳と「くにさづちのみこと」の徳とが求め合い結ばれて助け合って行く処に人生の恋愛の歓びがあり、結婚生活に於ける夫婦の性愛の歓びがあり、また新しい家庭を創り子供を生み育てて未来の世界を創造して行く人生の生甲斐があると言えるのであります。陰陽和合とは世間一般では男女の性的結合という狭い意味に解釈せられることが多いと思われますが、実際にはもっと大きな広い意味を持っているのであります。例えば天の恵みと大地の恵みが1つになって地上に様々な生物を生み出しているのは大きな世界での陰陽和合であり、プラスの電子とマイナスの電子が引き合うのは極微の世界の陰陽和合なのであります。

 次に「月よみのみこと」の徳はよろずつっばりの守護の理、「くにさづちのみこと」の徳はよろずつなぎの守護の理とせられていますが、よろずつっぱりとは外へ向って伸びて行こうとする力のことであり、遠心カや反引力、膨張力等のことであり、よろずつなぎの守護とは天文学や物理学の世界で言う処のニュートン万有引力・求心力・圧力等のことであります。「月よみのみこと」のカは外へ拡大し発展して行こうとする力でもあり、「くにさづちのみこと」の力は内部へ縮小し充実させようとする力であるとも言えるのであります。
 
 例えばプラスの電子とマイナスの電子を近付ければ引っ張り合い1つになろうとします。これは「くにさづちのみことのよろずつなぎ」の守護即ち万有引力であります。しかしプラス同志、或いはマイナス同志の電子を近付ければお互いに反発し合い遠ざかろうとします。引っ張り合い1つに結合しようとすることは内部へ縮まって行こうとする力を生み、静止しようとする作用を働かせます。反発し合い遠ざかろうとする力は外へ膨張しようとする力を生み、運動しようとする作用を働かせます。太陽と地球とは引力に依って結ばれています。しかし地球が太陽に引き寄せられてしまわないのは地球には太陽から遠ざかろうとする力即ち遠心カがあるからであり、太陽が地球を引っ張っている力は引力であり求心力であります。太陽の引力が強くなり地球が太陽に引き寄せられてしまったならば地球は静止することになります。地球の遠心力が強くなれば地球は太陽の引力から脱出して放物線を描いて無限の大宇宙の彼方へ飛び去って行こうとするでありましよう。引力と反引カ、求心力と遠心力、静止しようとするカと運動しようとする力の相反する力が助け合い均衡を保っているからこそ、太陽と地球、地球と月、其の他あらゆる星が全てその間隔を保ちそれぞれの軌道を廻って居られるのであります。しかし天理教ではそこ迄科学的に説いている訳ではないのであります。

 「くにさづちのみこと」の守護の理は物理的に言えば万有引カであります。しかし物理学を研究している人々は万有引カとは物質同志の間に働く力であると考えています。其処に大きな誤りがあると言えるのであります。プラスの電子とマイナスの電子が結合しようとするのも万有引カであり、男性と女性が恋に依って結ばれるのも万有引力であり、金縁、夫婦の縁、親子の縁、師弟の縁、朋友の縁も全て同じつなぎの理に依って結ばれているのであります。また神と人間との縁も同じつなぎの理に依るものであると言えるのであります。宇宙に存在するつなぎの理が、物質の世界では万有引力という形や名称で現われ、人間の世界では、神縁、夫婦の縁、親子の縁、師弟の縁、朋友の縁、金銭の縁、地縁という様な様々な形で現れるということであって、万有引力も人間の世界のあらゆる縁つなぎも全て宇宙の同じ法則なのであります。また政治団体、宗教団体、企業団体、文化芸術団体等に多くの人が結ばれて集まるのも「くにさづちのみこと」のよろずつなぎの守護の理に依るものであります。
 
 「月よみのみこと」の徳は「立毛草木よろずつっぱり地上より自ら立っているもの」の守護の理でありますが、例えば草木は地球の引力に反して上へ伸び生長しようとします。引力や求心力に反して上へ伸びたり、外へ膨張して行く力が「月よみのみこと」の守護の理であると言えるのであります。また「月よみのみこと」の守護の理は人間の体では男性性器を現わすものであると共に骨つっぱりと言われる如く骨の力に依って地球の引力に反して立つことが出来、内臓を守ることも出来るのであります。また「くにさづちのみこと」の徳は人体では女性性器を現わすと共に皮つなぎの理に依って人間の体内にある多くの臓器を守ると共に1つにまとめる役割をも果たしているのであります。また「月よみのみこと」は人体では男性性器でもありますが、男性性器は「つっぱる」ということ言い換えれぱ勃起、膨張することに依って女性に快感を与えるものであり、女性性器は引力・求心力の別名と言える圧力を加えることに依って男性に快感を与えるものであり、自然の道理は男女の性器や性交行為そのものにも同じ様に働いているのであります。
 
 次に「くもよみのみこと」と「をふとのべのみこと」が「二つ一つの理」に依って繋がる神であります。「くもよみのみこと」は女性的道具神格、天では朝の明星、人体では飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護、「をふとのべのみこと」は男性的道具神格、天では宵の明星、人体では出産の時、子を胎内より引き出す守護と教えられています。「くもよみのみこと」は天では朝の明星、「をふとのべのみこと」は天では宵の明星と説かれていますが、明けの明星も宵の明星も共に金星であります。故にここでは金星そのものに特別の意味はないと考えられるのであります。朝の明星は夜に代わって朝の来るのを告げる星であると共に、朝から晩迄の昼間を表わし、宵の明星は昼に代わって夜の来るのを告げる星であると共に晩から朝迄の夜を表わすものであると言えます。
 
 そうして人間の肉体は夜眠っている間に生長し、昼働いている間は縮んでいると言われています。幼年時代から青年時代迄肉体は夜眠っている間に生長する割合の方が昼間縮む割合よりも大きいからそれ丈生長すると言えるのであります。しかし人間の肉体が伸びたり縮んだりするのは意味のあることであります。即ち夜の間に生長した身体は日中の運動に依って鍛錬され調整されます。それは植物にも当てはまることであると思います。植物も多くのものは夜の間に大きくなり、昼は光合成の様な活動をします。動物も昼と夜とでは別の生活を営んでいる訳であります。その昼の生活の守護が「くもよみのみこと」であり、夜の生活の守護が「をふとのべのみこと」であると思います。
 
 「くもよみのみこと」の世界では水気上げ下げの守護とは、水が自然の状態では高い処から低い処へ向かって流れ、火に依って熱せられれば水蒸気となって低い処から高い処へ向かって上昇して行く様を述べているものと思います。そうしてそれは大自然の調節作用なのであります。例えば夏になって暑くなれば地面や水面からの水分の蒸発が多くなり、冬になって寒くなれば水分の蒸発量は少なくなります。水の蒸発量が多くなれぱ降雨量が多くなり、水の蒸発量が少なくなれば降雨量も少なくなります。そうして水分の蒸発は地上の気温の調節に大きな役割を果たしているのであります。例えば夏、水分の蒸発が激しくなることは地温の大巾な上昇を防ぎ、植物と動物の生存を容易にします。砂漠地帯では水分が非常に少ないために日中は地面の温度が激しく上昇し夜になると急激に低下します。それは水分の蒸発に依る温度の調節が充分に出来ないからであります。或いはまた過去に何度もあった氷河時代には多量の海水が極地や高山に氷河となって蓄積され、海水面が数10mも低下し、間氷期になると氷河が後退して海水面が上昇するという様な現象が繰り返されています。これらも全て大自然に存在する調節作用であり、水気上げ下げの理であります。

  水気上げ下げの理は人間の肉体に於いては飲み食い出入りと説かれています。飲み食い出入りとは飲食と排泄と発汗であります。私達は様々な飲食物を食べたり飲んだりして生活しています。しかし食べる丈で排泄せられなかったら健康は維持出来ないのであります。働いた後に空腹を感じ、飲食物を摂取することに依って空腹は満たされ、更に一定の時間が来れば排泄したいと思う様になることに依って人間の生命は維持せられるのであります。夏の暑い時には体温を調節するために汗が大量に出てその為に体内の水分が不足して喉の渇きを覚え水を飲みたいと思うようになります。水の無い砂漠地帯では水の蒸発による気温の調節が行われないので気温が急激に上昇し動植物の生存を大きく妨げます。人間の肉体も暑い時に発汗による体温の調節ができなくなると熱射病になって倒れることがあります。
 
 また山地や平野に樹木が少なければ、雨が降っても水は洪水となって流れ去り、洪水の後に旱魃の害が起こります。人間の肉体も病気で激しい下痢が続きますと、体内の水分が失われ脱水状態が起こり生命の危機に曝されます。更に雨が降っても排水が悪ければ水が溢れて洪水の害が起こる様に、人間の肉体も排便排尿等の生理機能が悪化すれば必ず病気になります。このような調節の機能が「くもよみのみこと」の水気上げ下げ、飲み食い出入りの守護の理であると言えるのであり、それは自然界に対しても人間の肉体に対しても同じ様に働いているのであります。

 「をふとのべのみこと」の守護の理は、人体では出産の時、子を体内より引き出す守護、世界では立毛を地より引き出し、その他よろず引き出す守護と説かれています。引き出すということは例えば母体は子供を生み出そうとするものであり、胎児は母体から生まれ出ようとするものでありますが、生み出す力と生まれ出る力のみでなく、引き出そうとして外から働きかける力が「をふとのべのみこと」の引き出す守護であると言えるのであります。即ち引き出すとは内にあるものを引き出すことであります。これは出産の時の助産婦の役割に例えられるものであります。例えば大地に無数の植物が芽生えますが、それは大地の力のみでなく、太陽の熱や光や雨などの外界からの働きかけに依って植物が芽生えるのであり、植物に芽を出す様に働きかける力が「をふとのべのみこと」の立毛を地より引き出す力であると言えるのであります。

 その他よろず引き出す守護とは色々な場合が考えられます。引き出すということは或るものの中に潜在的に存在するものを引き出すのであって創造とは違います。母胎から胎児を引き出すのも母胎の中に育てられてきた潜在的な生命を母胎から引き出すことに依って1つの独立した生命体とすることであります。1人の個人としての出生は受胎した瞬間から始まるものではなく、出生の時からであり、植物の場合も種子は命のあるものには違いありませんが、種子である間は潜在的な生命体ではあっても1本の植物であるとは言えないのであります。種子が芽を出し生長して初めて1本の植物となるのであります。それと同じ様に例えば地中に埋もれた鉱物は資源と呼ぷことの出来るものであっても、それは潜在的な価値を持つ資源であって、富とか商品と呼ぶことの出来るものではないのであります。地下に埋もれている石油も石炭も鉄鉱石もそれを堀り出して初めて経済的な価値を有する富となるのであります。

 或いはまた人間は生まれながらにしてそれぞれの天分を持っていますが、自分1人の力で自己の天分を引き出し磨いて行くことは出来ないのであります。親や師や先輩に指導せられ、隠れた才能を見付け出して貰って初めて自己の天分を伸ぱし活かすことが出来るのであります。人間の隠れた天分や個性や能力を引き出すのもやはり「をふとのべのみこと」のよろず引き出しの守護の理であります。更にあらゆる学問や理論もそれが人間の社会に実践を通じて活用せられなければ何の役にも立たず、どんな立派な文学作品や芸術品もそれが世の人々に認められ多くの人々に感銘を与えなければ、それ自体に価値を持たないのであります。潜在的な生命や潜在的な富や埋もれた価値や隠れた才能などを引き出す徳が「をふとのべのみこと」のよろず引き出しの守護の理であると言えるのであります。