モ ナ ド の 夢

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「宇宙の真理」日本の神々篇③ ── 日本神道はあらゆる宗教を超越した超宗教である 

 さて大国主命の別名に大物主神があります。三輪山御神体とする大物主神大国主神とでは何となく同一神と思われない面が多いと私は思うのであります。また四国の讃岐の金刀比羅宮の祭神大物主神も大国主命だと言う人々もいる訳であります。出雲の大国主命は縁結びの神であり縁を結び福を授ける神として信仰せられています。それに対して金刀比羅宮大物主神は縁を避け福を授ける神と言われているのであります。この点で四国の金刀比羅宮の祭神大物主神は出雲の大国主神とは全く別の神であると考えられるのであります。出雲の大国主神は農業の神でもありますが、讃岐の大物主神は船の守り神でもあり航海の安全を守る神であります、この点でも大国主神大物主神とは同一神ではないと考えられるのであります。
 
 金刀比羅宮は金刀比羅大権現とも言われ「こんぴらさん」の名称で呼ばれています。この「こんぴら」という意味については安田徳太郎氏はレプチャ語の船という意味だと説いていますが、それでは金刀比羅宮神大物主神とは船を神として祀っているのかというと決してそうではないと思えるのであります。では大物主神と船とがどの様な繋がりが有るのかと言うと誰にも本当のことは判らないと思います。コンピラとは印度で鰐を表わすクンピーラという言葉であって鰐を河の神或いは水の神として信仰していた民族が日本へ移住して来て祀ったものであるという説もあります。それが事実であると考えればクンピーラ即ち河の神を船の守り神として祀る様になったとも考えられるのであり、河の神クンピーラと船のコンピラとが発音が非常に近いことから船の守り神として信仰する様になったと考えれば辻褄は合う訳であります。そうすると金刀比羅宮大物主神とは印度の神であると言える訳であります。
 
 では印度の人々が一体何時頃どの様にして日本へ渡って来たのかということになります。天孫降臨の年代を今から2,500年以上3,000年位前と考えれば印度の人々が日本へ渡って来たのは恐らく3,000年以上前であろうと考えられます。そうするとインダス河流域のモヘンジョダロハラッパ等の所謂インダス文明の滅亡の時代と可也近いと思われるのであります。印度の西北部から当時まだ野蛮未開であったアーリア人種が侵入しインダス文明の諸都市を滅ぼした時、それらの都市から脱出し民族の大移動を図った人々も多分あったと思われます。それらの人々の一隊が船で日本へ到着することもあり得ると考えられるのであります。水のことを幼児語でブーとかおブーなどと言うのは印度の言葉であり、魚のことをナと言うのも印度の言葉であります。日本に真言密教を伝えた弘法大師空海の幼名は真魚(まな、まおとの説も有り)であったそうですがこの様な名前は確かに印度の或る民族の言葉から来ているので、弘法大師の遠い祖先は印度からの帰化人であったかも知れないと思います。何れにしても印度の土着の言葉即ち南印度に多いドラビタ族の言葉やアーリア人種の所謂「印度・ヨーロッパ語系」の言語等も現在の日本語の中に含まれているという事実は印度の人々が遠い昔日本へ移住して来たという事実を物語っているのであります。そうして印度の人々が彼等と共に持って来た神々の1つが讃岐の金刀比羅宮神大物主神であろうと思うのであります。
 
 さて出雲の大国主命が縁を結び福を授ける神であるのに対して、讃岐の金刀比羅宮大物主神は縁を避け福を授ける神として信仰せられているのはどの様な理由でありましようか。出雲の神は大黒主神即ち黒人の神であり皮膚の白い民族との通婚を好んだのではないかと思います。即ち皮膚の白い人々との結婚を奨励することに依って元は黒人であっても代を経る毎に子孫は皮膚が次第に白くなって来ることは確かであります。それに対して讃岐の金刀比羅の大物主神は案外白人系で黄色人種や黒人種との通婚を嫌ったために縁を避ける神となったのではないかとも考えられるのであります。何れにしても出雲の神と讃岐の神とは全く別の民族の神であると考えられるのであります。そうして大国主神に多くの名があるということは、実際には別の神を大国主神という1つの神に纏めてしまったのではないかとも考えられるのであります。出雲の大国主神の系統の人々は別の神を大国主命の別名だということにして大国主命はこのように日本全国各地を支配していたのだ、と言って騙そうとしたのではないかとも思われるのであります。少なくとも古事記には大きな嘘があると考えられるのであり、日本の古代史から抹殺された国常立尊や埴安彦神や天若日子命などがあった反面、大国主神とか天児屋根命とか饒芸速日(にぎはやひ)命の子孫などが自分達の都合の良い様に大嘘の日本歴史をでっち上げたのであり、古事記を編纂した太安麿や稗田阿礼等もその共謀者である可能性が強いと思われるのであります。
 
 次に鞍馬山の鞍馬権現と言えば天孫降臨の時、邇邇芸命(ににぎのみこと)の道案内をした猿田彦命を祀る神社でありますが、鞍馬と言えば有名な鞍馬天狗の本拠でもあります。天狗の正体は何かということについては諸説がある様ですが決定的にこれが正しいと言える説はない様に考えられます。安田徳太郎氏は猿田彦や天狗は象のことであると言っています。安田氏の説に依れば東南アジアの何処かに象のことをテングと呼ぶ民族が住んでいるということでありますが、テングが象であれば何となく謎が解ける様な気がします。それは象をテングと呼び神聖視していた人々が日本へ移住して来て象を神として祀っている裡に、それらの民族の子孫の人々はテングという大きな動物の実物を見る機会が無いために、テングという神は鼻が非常に長い神であったという様な伝説を元にして人間の顔で鼻の長い神を想像する様になったのではないかと思います。天狗の面を俗に鼻高面と言いますが、実際は鼻高と言うよりも鼻長と言う方が象のイメージには良く合うと思います。故に猿田彦神と言うのは東南アジア地方の民族の祖神であるとも考えられるのであります。

 其の他、日本各地の神社に祀られている神々の名を調べてみると、遠い外国の人々が信仰していた神々であったという例が非常に多いと思うのであります。そうして私達の祖先の人々は外国から日本へ移住して来た人々が祀っていた多くの神々を日本神道の中へ融合して、日本国民の共通の祖先神として祀って来たのであります。今日の日本人は何の気無しに神社へ参拝していますが、それらの神の元を辿ればアイヌ民族の神や朝鮮民族の神や満州族の神やインドネシヤの神や東南アジアの神や印度の神やヨーロッパの神やユダヤの神であったと言えるのであります。あらゆる民族を受け入れ、それらの民族の信仰していた神をも受け入れて、異民族との通婚を奨励して民族の大融合を図り、多くの民族の人々の信仰していた神々を融合して日本神道という1つの神の系譜にまとめ全ての民族の神々を日本民族の共通の神として信仰して来たのが日本神道の真実の歴史なのであります。この点に世界に比類ない日本神道の素晴らしさがあると言えるのであります。異民族を征服しその民族の祀る神を抹殺したり、神殿を破壊したりすることはよく有ることであります。しかしそれが如何に多くの怨みや憎しみの原因となるかということを私達はよく理解しなければならないのであります。

 さて日本神道には教義というものがありません。その点でキリスト教徒や仏教徒は日本神道を低級な宗教と考えているのであります。そこが多くの宗教と日本神道との決定的に違う点であると言えるのであります。神の教えを説くのがあらゆる宗教であります。しかし神道では神とは何かということを説いているのであります。日本神典古事記は神の教えを説く書物ではなく、神の世界や神の実体とは何かということを説いているのであります。日本神道は宗教に例えれば一神教多神教の両面を持っており、神道の神は、1神であって多神、多神であって1神と言えるのであります。神道に於いては宇宙に存在するもの全てが神であり、太陽も神、大地も神、地上に生活している植物も動物も人間も全てが神であると説いているのであります。日本には神代の時代から宗教というものは存在せず、「神ながらの道」という思想が存在していたのであります。「神ながらの道」とは大自然に存在する全てのものは神であり、大自然の摂理そのものが神の定められた宇宙の法則であるから宇宙の法則に従って神の御心のままに正しい生活を送っていこうという思想であって、宇宙の真理法則の全てを含んでいるのであります。神ながらとは神と同じ、神そのままという様な意味であります。故に日本神道は世界中のあらゆる宗教を超越した超宗教、超哲学、超科学の大思想であると言えるのであります。日本神道即ち「神ながらの道」こそ全世界のあらゆる宗教を統一融合することの出来る偉大な思想なのであり、教義を持たずして全ての教えを包含する実践宗教、実践哲学とでも言える内容を持っているのであります。