モ ナ ド の 夢

モ ナ ド の 夢

「宇宙の真理」日本の神々篇②

  新世界連盟の理想とする処は国家や国境を超えた1つの世界の建設であり、民族や人種の融合であり、言語や文化の融合でありますが、更に大きく困難な問題として宗教の統一融合を図らねばならないということであります。世界中に多数の宗教が存在し、それぞれの宗教家が我が宗教こそ唯一の正しい宗教であり、他の宗教は全て邪教であり、低級な宗教であると主張し合っていては全人類の利益も幸福も世界永遠の平和も絶対に実現出来る訳はないのであります。私達は宗教に対する盲信や狂信を止めねばならないのであります。宗教の目的は立派な人間を造り立派な社会を建設することにある筈であります。然るにその宗教の多くが対立や戦争の原動力となって社会に多くの不幸や悲劇を起こしていることは真に悲しむべきことであると言わねばならないのであります。

  過去の日本では多くの異民族の人々が移住して来たと共に、それらの人々の信仰していた神々もまた日本へ渡来して何時か日本神道の中に融合せられたのでありました。例えば現在の日本人が信仰している神の中には外国から渡って来た神も沢山あると言えるのであります。歴史学者貝塚茂樹氏は中央公論社出版の「世界の歴史 第1巻」の中で京都にある赤山神社と奈良にある兵主神社のことについて述べています。京都の赤山大明神と呼ぶ神は中国の後漢三国時代にかけて満州地方に住んでいた鳥丸(うがん)と呼ばれる民族が信仰していた神であろうという説は正しいと思います。また奈良の兵主大明神という神も、昔中国の山東地方で民間人に信仰されていた神であろうという説も正しいと思います。この様な中国や朝鮮などで信仰せられていた神が今日に至る迄日本で信仰されているという事実は昔、兵主とか赤山と称する神を祀っていた人々が日本へ移住して来て、彼等の信仰していた神を神社を建てて祀ったということであります。兵主神社や赤山神社の氏子の中には大昔それらの神と日本へ渡って来た人々の子孫もいるかも知れませんが、それらの帰化人の子孫でなくても氏子になっている人々も沢山いると考えられるのであります。また源平時代源義家の弟源義光が信仰していた神に新羅明神という神があります。この新羅明神の名を取って新羅三郎義光と名乗ったのでありその子孫が甲斐源氏の名門武田氏であります。では新羅明神とは如何なる神かというと朝鮮半島新羅の国から日本へ帰化した人々が祀った神であって元々朝鮮の神であります。其の他、高麗神社とか白髪宮と呼ばれる神社は朝鮮から帰化した人々が祀った神社であります。
 
 次に皇太神宮外宮の祭神、豊受大神は全国各地で稲荷大明神として祭られていますが稲荷大明神の使いは狐ということになっており、狐のことをイナリとも言います。この事について「日本誕生の謎」という本を書いた井上赴夫氏は北欧のフィンランドの人々は狐のことをイナリと呼びフィンランドにはイナリという町や湖が有ると述べていますがこの説は正しいと思います。日本でも稲荷町とか稲荷山という地名は沢山あると思いますがフィンランドのイナリ町と全く同じ意味であると言えるのであります。また井上赴夫氏はフィンランドの人と日本のアイヌ民族の人々とが民族的に血の繋がりがあるのではないかと説いていますが、恐らくその通りでありましよう。アイヌ民族は熊を神として祭り、熊祭りという儀式も伝えていますが、熊や狐を神として祀る習慣はアイヌ民族のものであるとするならば皇太神宮外宮祭神豊受大神アイヌ民族の神であるとも考えられると思うのであります。
 
 もう1つ不思議なことがあります。大本教の祭神は「艮(うしとら)の金神 国常立尊」と言われています。では何故大本教の神が敢えて「うしとらの金神」と名乗ったのかということになります。日本にとって艮の方角と言えば東北地方と北海道や千島列島に当たり嘗てのアイヌ民族の国であった地方のことであり、日本列島の先住民族は何種かあったと思われますが、東北、北海道地方の先住民族アイヌ民族が主体であったと思われるのであります。そうすると日本の国祖国常立尊は元を辿ればアイヌ民族の守護神であったとも考えられるのであり、そうして国常立尊と繋がりのある神が須佐之男命、大国主命豊受大神等の他に土の神埴安彦神、埴安媛神等であると考えられるのであります。大和朝廷が関東や東北地方を進攻したのは決して正しいとは言えない面が多々あります。先住のアイヌ民族の人々虐殺したり、領土を奪ったり、アイヌ民族の神を抹殺したりかなりあくどい事をしているのであって、平和の裡に天孫民族とアイヌ民族が融合したと言えるものではなかったのであります。そのような意味でアイヌ民族の歴史は悲劇的だったと言えるのであります。
 
 大本教天理教反天皇制の態度を採っている根本的な理由の1つは、それらの神々が天孫民族系の神でなく、大和朝廷に依って迫害されたり滅ぼされたりした日本の先住民族即ちアイヌ民族系の神であるからだとも考えられるのであります。更に大本教には「うしとらの金神国常立尊」と共に「ひつじさるの金神豊雲野尊」を祀っていますが、日本の「うしとら」は東北・北海道・千島列島であるのに対して、日本の「ひつじさる」は南九州と沖縄であります。沖縄は嘗ては琉球王国という独立国だったのであり、琉球王国の独立や繁栄や平和を脅かしたのは鹿児島の島津氏であり、徳川氏であり、更に琉球王国を完全に滅亡させたのは言う迄もなく明治政府であり、結局は日本皇室であると言うことになるのであります。そうして現皇室と島津氏、徳川氏などは密接な関係を有しているのであります。その為に国を滅ぽされ民族の平和や自由や繁栄を奪われた琉球王家の祖先霊や民族の守護神の皇室や島津氏に対する怨みや憎しみや怒りの念には並々ならぬものがあると言わねばならないのであります。
 
 最近「オイカイワタチ」という本が世に出ていますが、これは宇宙人から通信を受信したものと言われていますが、その内容は非常に低級であり学問とか理論とか科学と言える様な内容ではないのであります。何故この様な低級なものが世に蔓延るのかと言うとそこに恐るべき謎が秘められていると言えるのであります。「オイカイワタチ」では新しい地球を「琉球王国」と呼びその地は琉球列島である沖縄が中心であると説いています。新しい地球を琉球王国と呼びその中心は沖縄になるという様な説は理性のある人ならすぐ大嘘であることが判るはずであります。それすら判らないのは「オイカイワタチ」を信じている様な人は理性を完全に眠らされているからであります。

 この「オイカイワタチ」の思想が沖縄に生まれたものであるならぱ本土の人々は全く相手にしないでありましょう。しかしこれが日本の名古屋辺りで出現したために多くの人々が引っ掛かったのであります。「オイカイワタチ」では皇室のことを非常に讃美して書いています。しかし「オイカイワタチ」の皇室讃美は表面丈のものであって、その本心は皇室を徹底的に軽蔑していると受取れるのであります。「オイカイワタチ」の本を心して読んでみれば、天皇制を讃美しているのではなく軽蔑していることがはっきり読み取れるはずであります。では「オイカイワタチ」が何故その様なことを発表するのかと言えば、「オイカイワタチ」の背後には不良な宇宙人丈でなく、島津氏や皇室に滅ぼされて怨みや憎しみの念に燃えている琉球王家の祖先霊や琉球人の守護神が居るからだと言えるのであります。皇太子殿下が沖縄を訪問せられた時、火災瓶を投げ付けられたとのも皇室や島津氏に対する琉球の人々の怨みや憎しみがよく表われているのであります。結局琉球の人々の力では日本の政府に対抗することは出来ないのであります。そのために琉球の人々の霊は「オイカイワタチ」の如き低級な思想を日本人に植え付けて迷わせたり堕落させたりして怨みを晴らそうとしているのだと考えられるのであります。
 
 現界に於ける人間同志の争いは霊界に於いても様々な対決や怨みや憎しみの原因となっているのであります。例えば藤原氏は一門の利益や幸福や繁栄ばかりを考えて罪も無い菅原氏を亡ぼしたり、吉備の国の名門吉備氏を亡ぼしたりと悪虐無道の限りを尽して来たのであります。その為に藤原氏の子孫は今も彼等が滅ぼした家の諸霊から怨まれ続けているのであり、もはや藤原氏の一門には繁栄の機会は無いのであります。其の他、徳川家康が豊臣家を滅ぼしたのも日本の為でなく徳川家の私利私欲からであり、その為に徳川家は今も呪われていると言えるのであります。日本皇室にも皇位の継承をめぐって骨肉相喰む悲劇が繰り返されたのであり、特に南北朝問題の怨みは霊界現界に於いて今も激しく燃え続けているのであり、皇室に見えない様な不幸や悲劇が起るのも、罪なくして殺されたり一族を滅ぼされたりした霊の怨みや憎しみや悲しみが何時迄も消えないからであります。また源頼朝は平家の正統であった六代を殺して平家正統を絶やしたために、平家の一族北條氏に依って正統を絶やされ、その後源平両氏一族の対立は長く続いているのであります。平家の北条氏は源氏の新田氏や足利氏に滅ぼされ、源氏の足利氏は平家を名乗った織田氏に滅ぼされ、織田氏はさらに源氏の武田氏を滅ぼし、後には源氏の明智氏に滅ぼされているのであります。武田氏と長尾氏の対立も源平の争いそのものであると言えるのであります。
 
 この様に人間の社会でも或る一族の中心の家を絶やす様なことをすれぱ、絶やした方は何時迄も怨まれ復讐せられるのであり神社や寺院を建てて霊を祀り怒りを鎮めようという様な手段は本当は役には立たないのであります。地球人は愚かであるために敵とか競争相手は皆殺しにし根絶やしにしておけば安全だと考えて残酷なことを平気でしますが、霊の怨みや崇りの恐ろしさを知らないためにそんな無茶なことを平気でするのであります。しかし霊界現界でこの様な怨みや憎しみが何時迄も続いていては平和な社会を建設することは出来ず、世界に平和が訪れることもないのであります。過去に罪を犯して上流社会にのさばってきた人々はやがて最後の審判で処分を下され、霊界現界両面の浄化が図られるでありましょう。