モ ナ ド の 夢

モ ナ ド の 夢

「宇宙の真理」宇宙学篇①

 昭和51年3月下旬頃、新聞広告で宇宙学のことを知った私は、早速当時宇宙学教室を開いて居られた高木氏の処へ広告の本全巻を注文したのでありました。その年は、私は大本教の「霊界物語」全巻を読破するつもりで毎日次々と読んで居りました。その頃「霊界物語」を第52巻位迄読んでいた私は宇宙学の本が到着したので両方を読むことにしようと思い、2,3日、霊界物語と宇宙学の本と両方読んでいましたが「宇宙学」(上)(中)の2冊位迄読み進んだ時、私が長年心の中に求め読けて来たものはこれしかないと確信し、宇宙学の本を読み始めて3日目位でもはや霊界物語は読む必要はないと判断し、53巻以下は取り寄せたまま読まずに終ったのでありました。そうして「宇宙学」上、中、下巻を読み終わり「神霊星界通信記録」を読み進むにつれて宇宙学こそあらゆる宗教を超える最高の真理であることを確信したのであります。そうして5月5日、宇宙学教室の高木氏宅を訪問し、1日宇宙学について色々話し合って岡山へ帰ったのであります。
 
 現実に地球の現代文明が矛盾だらけであることは宇宙学で説いている如く明らかであり、田原女史はそのことについて現代の宗教も思想も学問も理論も全て矛盾だらけのオリオン文化であるから捨ててしまいなさいと教えて居られます。そのこと自体は正しいのであります。しかしそれでは現代文明の全てが矛盾だらけのオリオン文化だから捨てるのはよいとして、現代文明を捨て去った後、地球人は何を心の拠り処としてどの様に生きて行けばよいのかということを何も説いてないのであります。例えば現代の世界中の宗教が多くの矛盾や誤りを沢山含んでいることは事実であります。では現代の世界中の宗教を全て捨てるということになると私達は明日から何を心の拠り処として生きて行けばよいのかということになります。成程今迄の宗教の全てが誤っているのは事実であるとしても、宇宙学に今迄の宗教の代わりになることの全てが説かれている訳ではないのであります。現代文明の全てが矛盾だらけのオリオン文化であるということは充分納得出来ることでありますが、それではオリオン文化そのものを捨ててどの様な社会を建設すればよいのかということについては何も説いてはいないのであります。
 
 例えば宇宙学では、現代の議会政治などを全面的に否定し天皇親政の御代に復帰せよと説いています。しかし日本の全ての政党を解散させ議会政治を止めさせてどの様な政治体制にすればよいのかということについては何1つ具体的な実現策が示されていないのであります。只、自民党政権天皇に政権をお返しせよと説いている丈であります。それでは現実に自民党政権天皇に政権をお返しした場合、天皇親政の御代に帰るのはそれでよいとしても、現代の司法、立法、行政、或いは教育、外交、国防等をどの様にすればよいかというと、具体的な方策は何1つ明示されてはいないのであります。現実に自民党政権天皇に政権をお返しするにしても、天皇御自身に日本の政治を神の御心の通りに改革して行かれる丈の理念とか実現策がお有りでなければ天皇親政の御代になっても天皇も国民も皆が混乱してどうしたらよいか判らなくなるでありましよう。宇宙学では政治の誤りは説いていますがそれでは議会政治のどこがどの様に誤っているからどの様に改めるべきであるとか、専制政治の何処がどの様に誤っているからどの様に改めるべきであるという様な具体的なことは何も説いてはいないのであります。

 宇宙学では現代の学問の全てが矛盾だらけ誤りだらけのオリオン文化であるから全部捨てよと教えています。また子女を高校や大学に入学させてはならないとも言っています。実際に現代のあらゆる学問が誤りである以上、大学や高等学校で教えている学問の全ても誤っている訳でありますから、大学で熱心に勉強する程誤った思想を身に付けて神から遠ざかり真理が判らなくなると言えるのであります。宇宙学では大学等はやがて潰れて無くなるだろうと説いていますが、現実には宇宙学の通りにはなっていないのであります。現代の全ての学問が誤りであるのは事実であっても、それでは大学で教えている政治学・経済学・法律学倫理学・哲学・物理学・数学・化学・生物学等全ての学問を全部捨て大学を閉鎖したとしたならば日本の教育はどうなるのでありましようか。宇宙学では子供を高校、大学に入学させてはならないと説いています。若し宇宙学の通りの政治をするのであれば日本中の高校、大学は全て閉鎖しなければならず、あらゆる学問も教えてはならず、全ての教科書は捨てねばならないことになります。では日本中の青少年が中学丈で教育を受けることをやめて皆が宇宙学の本丈読むことにすれば日本の社会は急激に正常化されるかというと全くそうではないのであります。宇宙学の本をいくら読んでも今日の大学で教えているあらゆる学問の代わりになる正しい学問というものは出て来ないのであります。現代のあらゆる学問に代わって正しい物理学、正しい化学、正しい生物学、正しい歴史学、正しい数学、正しい心理学、正しい医学などあらゆる面で正しい学問が必要なのであります。その様な正しい学問を何1つとして宇宙学教室から世に出さずに、只現代文明の全てが矛盾だらけのオリオン文化だから捨てなさいと言っても捨てられる訳がないのであります。この様な点に宇宙学の決定的な誤りがあると言わねばならないのであります。    
 
  宇宙学教室では現代文明は全てオリオン座その他の不良星界の悪魔邪神が地球人類を騙し滅亡させるために教えた矛盾だらけで誤りだらけの文明であるから捨ててしまいなさいと教えていますが、現代文明に代わる新文明はまだ地球上には出現していないのであります。現代文明に代わる新文明が未だ出現していないのに現代文明を捨てたら明日からの皆の生活や政治経済教育外交などあらゆる社会問題をどの様にすればよいと言うのでありましようか。その様な問題を何ら解決しないで只、現代文明は誤っているから全て捨てなさいと言っても捨てることは出来ないのであります。そこに宇宙学の最大の弱点があると言わねぱならないのであります。しかしそれは宇宙学そのものが誤っているという訳ではないのであります。
 
 田原女史は元来女学校を卒業せられて日本赤十字社の看護婦になられた方であって、宗教とか政治・経済・物理などの学問を深く研究せられた方ではないのであります。故に田原女史自身には多くの宗教が正しいのか誤っているのか、多くの宗教の教義の中で正しい部分はどこか、誤った部分はどこかという様な点については殆んど何も判ってはいなかったのであります。田原女史は霊がかりの状態になって神や悪魔や多くの霊の言葉を御自身の口を通して世間の人々に語られたのであって、田原女史自身が宗教や学問を研究してその結果どの宗教にもどの学問にも多くの矛盾が存在すると考えられる様になったのではないのであります。田原女史は宇宙創造神を初めとする神や優良星界人の霊の言うままのことを地球人に告げられた丈であって、神霊星界の意志を地球人に取次ぐための取次ぎの器械の役を果された訳であります。その様な点から考えても田原女史が多くの人を指導して現代文明の改革を図るということは出来なかったのであります。田原女史は神霊星界の意志を取次がれても、自分の研究を発表せられるという様なことは無かったのであります。故に田原女史には現代文明が矛盾だらけであるということは観念的には判っても、具体的に多くの宗教や学問の誤りを指摘することが出来ないのであります。
 
 例えば神や優良星界人が、田原女史に神憑りして新しい政治学や経済学や物理学や化学や生物学などの論文を書かせて、それを宇宙学教室から出版させて多くの人々に読ませ現代の大学で教えている学問と何処がどの様に違うか、現代の学問の何処がどの様に誤っているかということをよく教えることが出来れば、現代の学問の全てを捨てさせ、宇宙学教室から出版された政治学や経済学や物理学や化学や生物学等の本を大学の教科書として使用することも出来るでありましょう。しかしその様なことは出来ないのであります。神憑りや霊憑りであらゆる学問を教えさえすれば地球人は何の苦労もしないで高級な真理を学ぷことが出来ることになりますが、そんな都合の良いことは出来ないのであります。また現実に地球上の膨大な学問を正しい学問に作り換えるということは余程高度の知性と多くの時間や労力が必要となって来るのであります。故に神憑り状態になって多くの学問の論文を書く様なことは出来ないのであります。田原女史を通じてできることは神霊星界の意志を地球人類に取次ぐことであって、地球の現代文明そのものを改革することは出来なかったのです。
 
 地球の現代文明の矛盾を解明し正しい学問や理論や技術を創造し新文明を創造することは、私達地球人に与えられた使命であります。宇宙学の人々は、しばしば神や優良星界人に新しい真理を説いてくださいとお願いしていましたが、判らないことは何でも神にお願いして教えて頂ければいいという考えは誤っているのであります。自分で学び働き修行しながらその体験を通じて段々と真理を学び賢明になり高級になっていかなければならないのであります。
 
 故に、判らないことは何でもすぐ神にお尋ねすればよいということは正しくないのであり、神も決してそんなことはなさらないのであります。子供が何事でも何時迄も親に頼っていては健全な生長は遂げられない様に、人間が何時迄経っても判らないことは神にお尋ねすればよいという考え方では本当の修行が出来ず高級な人間にはなれないのであります。自分で学び、自分で働き、自分で修行しながら様々な体験を積み重ねて真理を学ばねばならないのであります。神も優良星界人も、地球の現代文明は不良星界の悪魔邪神が地球人類を騙し滅亡させようとして創らせた矛盾だらけのオリオン文化であるから一切捨てて、新しい新文明を創造する様に努力しなさいと教えて居られるのであります。現代文明の矛盾を覚って正しい新文明を創造することは私達自身がしなけれぱならないことであります。神も優良星界人も地球の現代文明は誤りだらけのオリオン文化であるから信じてはならないと説いています。そうして地球人自身の努力に依って正しい新文明を創造しなさいと説いているのであります。しかし多くの地球人には長い間正しいと信じ続けて来たあらゆる宗教や思想や学問などが何故誤っているのか、どこが正しくないのかという様なことが全く判らないのであります。そのために現代文明の矛盾が判らないから宇笛学の教えの方が誤っていると判断するのであります。
 
 では何故地球人には現代文明の矛盾が判らないのでありましようか。それは地球人の心が穢れ乱れているからであります。汚れたり曇ったりしている眼鏡を掛けると良く見えませんし、色眼鏡を掛けると本当の色が判らなくなります。地球人は心が曇っているから物事の正邪善悪や理非曲直や真偽や虚実等を正しく見分けることが出来ないのであります。そのために宇宙学では先ず洗心と心の調整の重要さを説いているのであります。神も優良星界人も地球人は心が邪悪で愚劣で低級で穢れ乱れているから真理を覚ることが出来ず、現代文明が矛盾だらけ誤りだらけであることも見抜くことが出来ないのだと説いているのであります。故に先ず地球人は邪悪で低級愚劣で穢れ乱れた心を洗い浄めなければならないと教えられているのであります。邪悪で低級愚劣で穢れ乱れた心を洗い清めて正しく清らかな心になれば自ら現代文明の矛盾が判ってくる様になるのであります。ではどの様にすれば心を洗い清めて真理を覚ることの出来る正しく清らかな心になることが出来るのでありましょうか。
 
 宇宙学では「強く正しく明るく我を折り、宜しからぬ欲を捨て、皆仲良く相和して感謝の生活をせよ」と教えられ、また「憎しみ、嫉み、猜み、羨み、呪い、怒り、不平不満、疑い迷い、心配心、答めの心、いらいらする心、せかせかする心」は魔と繋がる心であるから決して出してはならない、と教えられているのであり、また「見たい聞きたい知りたいと思うのも欲の心である」と教えられ、更に「与えられたことに感謝し、与えられなかったことに感謝せよ」と教えられています。宇宙学の教えと言えばこれで全部だと言えます。多くの人はこんな教えなら何処の宗教でも説いていると言いますが、宇宙学の教えと他の宗教の教えの本質を見抜くことができないからどの宗教の教えも似たり寄ったりだと考えるのであります。宇宙学は、洗心と心の調整を図ることに依って神と繋がり自分自身の修行に依って真理を覚り高級な人間になれと説いているのであって、他のあらゆる宗教の如く現世利益等のおかげを授けるものとは全く異質のものであります。

 宇宙学では病気、躓き、障り、不幸、災難等の全ては心の誤りから起るものであるから洗心と心の調整を図りさえすれば病気も躓きも災難も全て消滅すると説くものであります。宇宙学の教えは誰にでも判る簡単な内容でありますがその実践は非常に難しいのであります。そのために宇宙学の本を読んでも容易に洗心も心の調整も出来ず、従って神に繋がる丈の修行が出来ず真理を覚ることも出来ないのであります。
 例えば田原女史健在の頃に、宇宙学教室には大学教授とか博士とかいう様な人は何人も出入りしていたのであります。それらの人々が本当に神に繋がる丈の洗心をしていたならば大学で教えている多くの学問の何処が誤っているかを見抜くことも出来、オリオン文化である現代のあらゆる学問を捨てて正しい学問を創造する努力を始めるべきであったと言えるのであります。しかし田原女史の教えを受けた大学教授も博士も終に観念的な洗心は実行してもオリオン文化に代わる正しい新文明を創造する努力はしなかったのであります。そのために宇宙学そのものが観念的で終わり、現実の社会を浄化し改革することのできる実践理論へと発展しなかったであります。

 私が宇宙学を知ったのは昭和51年4月以降でありますが、私が現代文明の矛盾に気付き始めたのは昭和33年からであります。それ以前にも現代文明に多くの矛盾が存在することには気付いていましたが、具体的に何処がどの様に誤っているのかということが判らなかったのであります。しかし私が経済学の専攻を志して昭和33年に日本大学通信教育部経済学部経済学科へ入学して以来、学習を通じて次第に学問の誤りを知る様になったのであります。私は大学ヘレポートを提出するために岡山県立図書館へ本を読みに行くことがよくありました。
 そうして昭和33年10月8日頃、私は図書館に於いて「貨弊の真理」という本を朝から晩迄読みふけったのであります。市井の経済学研究家であった故富永義孝氏が著作し図書館へ寄贈せられていた「貨弊の真理」という本が私の運命を転換させる大きな端緒となったのであります。「貨弊の真理」程私の心を大きく動かした本はそれ迄になかったのであります。その本を読んだ時の大きな感激、それは言葉や文章で表わすことは困難であります。私はその日から何日間も大きな興奮の中にありました。富永義孝氏の経済理論が全面的に正しいと.言うものではありません。しかしその理論の中に今迄、経済学者の誰もが気付くことの出来なかった新しいそうして正しい理論が含まれて居り、正しい経済社会を建設して行くことの出来る唯一の理論であることを確信した私は新自由主義経済学の研究に没頭することになったのであります。富永義孝氏の理論は決して完成されたものではなかったのであります。しかし過去に多くの経済学者が見誤ったり見過ごしたりした貨弊経済の謎や矛盾の多くを明快に解き明している点で非常に素晴らしいものがあったと言えるのであります。故に私は富永氏の理論をもっと完全な理論にしたいと思って新理論の完成に努力を続けたのでありました。その後更に「貨弊の真理」と共に私にとって非常に素晴らしい本に巡り会う機会を得たのでありました。それは名古屋市の実業家であり経済学研究家である機械工具商山下商店の社長山下寅蔵氏の出版せられた「第二国富論」でありました。そうして山下氏を知るに及んで山下氏と富永義孝氏とが経済学の研究を通じて親友の間柄であり、富永氏は既に故人になって居られることや富永氏の門弟水知忠清氏が東京に於いて新自由主義経済学研究所を開いて居られるという様なことを知ったのでありました。その様な経過を辿りながら私は新自由主義経済学の基礎理論をほぼ完成したのでありました。
 
 そうして昭和38年になって以来、夜就寝中にしばしば霊に襲われる様になりそれ以来宗教に深い関心を持つ様になったことは既に述べている通りであります。その様にして私は現代の経済社会の矛盾は誤れる経済学が原因であり正しい経済学を実践して初めて不況も倒産も失業も貧富の懸隔もなく皆が豊かに楽しく幸福に暮らすことの出来る正しい経済社会を建設することが出来るということを確信したのでありました。それと共に政治学にも物理学にも化学にも生物学にも多くの矛盾があることが次第に判る様になったのであります。
 そうして昭和38年8月以来、神の御心のままに様々な宗教に接したり様々な学問の研究をすることに依って宗教の矛盾や現代文明の矛盾を知ったのであります。全ての宗教に何か真理はあり何か矛盾が含まれていることを知った私は、全ての宗教や学問の真理を活かし矛盾を捨てて正しい宗教や学問を創造して行かなければ人類滅亡の危機を救うことは出来ないということをはっきりと確信していたのであり、そのために正しい学問を創造しようと暗中模索の状態にあって努力を続けていたのであります。

 その様な時に宇宙学を学ぶ機会を得たのであります。宇宙学を学んで初めて私は私が長年考え続けて来たことと同じ教えに出会うことが出来たのであります。田原女史の教えは神霊星界からの通信であるのに対して、私の理論は、私が神の導き給うがままに多くの宗教に接し、多くの学問を研究してその中に真理や矛盾を発見しながら創り上げて来た新しい理論であります。田原女史は神霊星界の意志を取り次がれた丈であって御自身が多くの宗教や学問を研究してその実体とか内状を知られたのではないのであります。しかし私は神から多くの宗教や学問の研究をさせられましたが、神は学問や宗教が正しいから研究せよと言われたのでもなく誤っているから調べて見よと言われた訳でもなく、全く白紙の状態で勉強させられたのであります。故に宗教や学問の何処が正しいか、何処が誤っているかということは私が自己の理性を以って判断しなければならないことであって、神が何も教えて下さった訳ではないのであります。その点で田原女史と私とは丁度同じ頃から同じ目標に到達するために正反対の側から進んでいたと言えるのであり、田原女史の教えは表、私の理論は裏という形で表裏一体の理論となっているのであります。