モ ナ ド の 夢

モ ナ ド の 夢

『4次元宇宙の謎』③

 第6感−高次の世界との接触手段
 
 この本の大きな目的は、『4次元』に関係ありそうなあらゆることの考察にあるので、どうしてもある重大間題を避けては通れない。それはもう1つ別の感官、いわゆる第6感が存在するかも知れないということだ。この特殊な超常的感覚があるかどうかという問題は今に始まったことではなく、その存在は長い間議論されてきた。この第6感は辞書には「他の5感と同じ位強いとされる知覚力」とか「5感のどれをも通さぬとされる直観的知覚」などと定義されている。第6感はしばしば直観とも呼ぱれている。−直観は全ての人間と動物の大半にあって、肉体的感覚の領域を越えた未知の危険から生き残る助けとなってきた。実際我々の多くは、この超常的感覚が前もって危険を知らせてくれたおかげで命拾いした経験を持っている。なぜか理由は定かでないが、直観は男より女の方が発達しているように思える。恐らく弱者である女の方が、生き延びるためにそれを必要とするのだろう。女の直観は遠い昔から有名で、しかも結構当たることが多い。実のところ、第6感というのは、我々のあらゆる超常的機能をひっくるめた通俗的な名称に過ぎず、全ての人間とほとんどの動物に生得的なものなのだ。

 第6感はまた、他の5つの肉体的感覚が意識精神の感覚であるのに対し、無意識精神に関わる感覚と考えていいかも知れない。第6感はまた、我々の肉体的感覚の領域を越えた、高次の世界との接触手段で、そのために高次元の秩序に属していると言ってもよい。


 
 時間の壁を越える
 
 未来を知る!

 第1の言葉は、予知である。予知とは、何かが姿を現わすより前に、あるいは事件が起こるより前に、それを知ることである。言い換えれぱ、何かが生じるより前に知る、すなわち、まだ生じていない、まだ未来に属していて我々が知るはずのないことを、前もって知ることだと言える。予知を経験することは、それほど珍しくない。はっきり言って、ほとんど誰でも1度や2度は未来を予測できた経験があるはずで、多くは些細なつまらないことについて起き、我々はそういう経験を、勘とか予感、胸騒ぎ、直観などという言葉で説明して済ませている。

 実は私は数年前、バナマで次のような経験をしている。そのとき私たちはバナマ・シティのホテル・セントラルのバーで、ビールを飲んでいた。そこへ友人の経験豊かな腕のいいパイロットが顔を出した。しばらくお喋りした後、彼はこれから内陸部のある町を訪れているパナマ大統領を迎えに行くところだと言って、一緒に行かないかと誘った。どうせ彼は1人で飛行機を飛ばすのだし、私達は大統領とも友人だったので、喜んで誘いに乗った。しかし、いざ帰路に着く段になって、急に強く胸騒ぎがしたので、遠慮することにした。多分大統領も同じ予感がしたのだろう。ぎりぎりになって車で帰ることに決めたため、友人のパイロットは1人で飛び帰らねぱならなくなり、首都に着く前に山に衝突して、命を落としたのである。

    

 (注:次に登場する『過去認知』は原本文では『昔知』となっていますが、その表現は現在ほとんど使用されておらず『過去認知』が一般的ですので、それに従いました。)

 『時間』を遡る!

 第2の言葉は、リトロコグニション(過去認知)である。過去認知というのは比較的新語で『時間』を遡って既に過去に属していて知るはずのないことを見聞し経験することを意味する。大概の人が経験している「前にもここに来たことがある」というあの奇妙な感じも、過去認知に含まれる。過去認知体験は色々な形をとるが、中でも圧倒的に多いのは、先に挙げた生まれて初めてその場所を訪れたのに、前にもそこに来たことがある、という奇妙な感じを受けることだ。
 
 時には、人が『時間』の壁を越えて、ずっと昔に忘れられた過去の出来事を目撃した例も、記録されている。このような体験はそれほど頻繁には見られないし、大概は明確な誘因なしに起こるので、説明も付けにくい。中には例外もあるが、当事者は馬鹿にされるのを恐れて、誰にも経験を語りたがらないことが多い。面白いことに、記録に残っている実例のほとんどは、当事者が高い教養を持ち、社会的地位の高い女性である。その事実が当面の問題と関係あるのかどうかは分からないが。次に挙げる2つの有名な事件は、ずっと昔に起きたものだが、この珍しいタイプの過去認知現象がどんなものかを示す好例として紹介しておく。最初の例は1890年に起きたもので、レディ・ラドナーが詳しく記録している。

 それは、彼女がA・フリーア嬢とともにイギリスのソールズベリ大聖堂を訪れた際に起きた。この2人の女性はともに社会的地位に恵まれ、評判もよく、たまたまフリーア嬢はアマチュア霊媒で、心霊研究に関心を持っていた。1890年2月23日、2人がソールズベリ大聖堂のハンガーフォード礼拝堂を訪れた時、フリーア嬢が突然レディ・ラドナーに、ちようど今大きな儀式が進行中だと告げた。レディ・ラドナーには何も見えなかったが、フリーア嬢は東側にあたる内陣に背の高い椅子が1つ置かれ、盛装した聖職者や一般人がぞくぞく詰め掛けていると言った。やがて赤い服の上に白いレースを重ねた背の高い大柄な男が、ゆっくり歩み出てきた。男は首に足まで届く何かを掛け、美しい縫いとりのある幅広の司教冠、というより僧帽に似たようなものを被っていた。
 
 フリーア嬢の説明では、この男とそっくりな恰好をした高僧がさらに4人おり、赤い服に白いレースの少年達が沢山キャンドルや本などを手にしていた。聖堂の中は今や人で埋まり、これから大きな儀式が始まろうとしているのは明らかだった。続いて彼女は、主人公が椅子の前に膝まずき、しぱらく西方を見て立ち上がると、10人の少年達が椅子を持ち上げて、彼を西方に向けたまま祭壇の前へ運んでいく様子を話した。その後、主人公は2歩進んで、東を向いた。
 驚いたレディ・ラドナーが「あなたの見ているのは何か」と訊くと、フリーア嬢は「ブリアン・デュパの叙任式だ」と答えた。レディ・ラドナーは好奇心をそそられ、帰宅すると急いでブリトンの『ウィルシャーの歴史』を調ぺてみた。主教の名を列挙した部分は、まだ側面も上端も切り開かれていなかった。ぺージを切り開いてみると、その本の149ぺージに次のような記述があった。「ブリアン・デュパ、またはド・アプハーフ、神学博士-…チャールズ王子の家庭教師…-チチェスター(チスター)主教管区へ転任……1647年主教の座に‥‥まもなく議会により罷免-…王政復古後まもなくウィンチェスター主教管区に採り立てらる」
 
 祭壇や教会内の飾り付けは、当然1890年当時とは大きく変わっていたが、後にレディ・ラドナーは、フリーア嬢の説明がその時代のものとしてはまったく正しいことを確認した。この過去認知現象の古典的ケースでは、過去の出来事を見られたのがフリーア嬢だけで、レディ・ラドナーには何も見えなかったという点が、注目に値する。しかし、この事件の真相は何だったのだろう?フリーア嬢が友人に自分の心霊能力を見せつけるために、全てを仕組んだのか?それとも、既にブリアン・デュパの叙任式のことは知っていたのだが一旦忘れてしまい、何世紀も前にそれが行われた古式ゆかしい大聖堂の雰囲気に影響されて、その叙任式が今起こっているような「幻覚」を起こしたのか?そうかもしれない。だが、彼女は本当に“時間の壁”を突破することができ、自分で話した通り、過去の忘れ難い出来事を実際に目撃したのだという可能性も残されている。

 

 過去認知のもう1つの事例は、さらに驚くべきものだ。それは1910年にフランスで起こり、やはり2人のイギリス婦人が関わっている。2人とも著名な学者で、オックスフォード大学セント・ヒュー・カレッジの学長C・アン・E・モバリーとその教授陣の一員エレナー・F・ジュールダンである。

 折から2人はフランスを旅行中で、1910年8月のある日、ヴェルサイユにある有名なプチ・トリアノン宮殿を訪ねることにした。2人は期待と興奮に胸躍らせていた。ようやくその歴史的地点に着くと、早速中に入ったが、なぜか思っていたのと全く様子が違うので、ひどく不思議に思った。それだけでなく、空気がよどんでいて息が詰まりそうで、その場所の雰囲気そのものが、2人をいらいらと落ち着かなくさせるのだ。しかも、この真夏の暑い日に限って、普段大勢いるはずの観光客の姿が見えない。事実、2人の周りには、人っ子1人いなかった。
 
 2人は直に、建物がガイドブックどおりの場所にないのに気付いた。中には、まったく地図に載っていない建物さえある。その代わりに、2人は地図にない奇妙な小道を見付けた。その上おかしなことに、行き会う庭師やその他の連中が皆、別の時代の衣服を付け、現在パリで使われているのとは違う古めかしいフランス語を使っていた。あちこちに妙な人々が見え、聞き慣れない物音が聞こえてくる。庭園の1つに貴族的な顔立ちの美しい貴婦人が1人、流行遅れの長いケープを羽織って、スケッチをしていた。(注:この貴婦人はマリー・アントワネットであると、後に判明)疑い深そうなあばた顔の男が、2人を付け回してきた。どこか遠くで、楽団が古めかしい音楽を演奏し、巨大で堂々とした庭園の遊歩道には、市民や将校の2人連れが、話に花を咲かせながら歩き回っていた。何もかもが奇妙で薄気味悪く、その内2人は怖くなって、急ぎ足でプチ・トリアノン宮殿を後にした。

 数日後やっと勇気を奮い起こして、もう1度プチ・トリアノンを訪れてみると、そこは最初に訪ねた場所とは全く違っていた。今度はどこもかしこも観光客が一杯で、庭師や案内係や警官もちゃんとした服装をしていた。建物や小道もあるべき場所にあった。2人が最初に見たプチ・トリアノンは完全に消え失せていたのだ。
 2人の女性は当惑したが、学者らしく調べてみることにした。フランスの歴史家の助けを借りて、長い間、古地図や古文書、古書などを比べる面倒な作業を続けた結果、遂にあの日、自分達の“見た”プチ・トリアノンマリー・アントワネット時代の1789年のプチ・トリアノンであることを突き止めたのである。夢のような話と思われるだろうか? だが、4次元『空間』では、このようなことが可能なばかりか、ごく自然なことなのだ。

 
 
 サンダーソン夫妻の奇妙な体験
 
 過去認知現象の明白な実例と思われる興味深いもう1例は、アイヴァン・T・サンダーソンが著書『続・怪事象』に書いている。サンダーソン氏は探険家、博物学者、著述家として有名な人だ。この事例の舞台であるハイチは私もよく知っているので、特に興味をそそられた。
 その報告によると、サンダーソン夫妻と助手は、ある夜ハイチのアスユイ湖に行くことにした。湖に着くと、帰りは古い土道を通って南に近道し、南行幹線道路に出ようということになった。ところがあいにく、40マイルほど行ったところで、車が泥にはまり込み、3人は歩くより他なくなってしまった。大分経って、3人はようやく側溝のない埃を被った完全に一直線の道路に出た。3人とも疲労困懲し、泥まみれになるわ、腹は空くわ、早く家に帰りたくてたまらなかった。
 
 その時何の前触れもなく、それが起きたのだ。サンダーソン氏は夫人のすぐ傍にいたが、急に自分達が明るい月夜にいることをはっきり感じた。自分たちの影法師も見える。道路は急にあちこちに大きな敷石の見えるぬかるみに変わり、両側には様々な大きさと形の3階建ての建物がずらりと並んでいた。イギリスのエリザベス王朝風の建物だったが、サンダーソン氏はなぜか、自分達が今いるのはバリだと感じた!

 夢の様なフランスの家々は差掛け屋根をもち、屋根窓や切り妻屋根、木製の前廊、鉛ガラスのはまった小さな窓などのある建物もあった。あちこちの窓が、まるでキャンドルの灯りが灯っている様に、鈍い赤味を帯びた光に染まっていた。あちこちの建物から突き出した木材に鉄枠のランタンがぶら下がり、まるで風に吹かれる様に揃って揺れている。だが、風はそよとも吹いていなかった。サンダーソン氏が見たのは古びたパリの街角だった。それも500年前の! サンダーソン夫人にも、夫と同じものがはっきり見えた。しぱらくすると、再び前触れもなく全てが消え、目の前には果てもなく続く土道しかなかったのである。これが極めて異常な経験であることは、疑う余地がない。
 
 過去認知の極めて変わった事例として、数年前アメリカの有名エレクトロニクス雑誌に載った話を紹介しておこう。それによると、イギリスのロンドンとリヴァプールにある2つのモニター局が、同時に異常にはっきりとテキサスのある放送局からの放送電波を受信した。そのような場合の習慣として、両局はすぐにこの事実をテキサスの局に知らせ、証拠としてそのテスト・パターンの写真を同封した。
テキサス放送局からの返事は彼らをびっくりさせたが、無論テキサスの人達も驚いたに違いない。知らされたテスト・パターンは2年前から使用しておらず、見えたという番組も2年前のものだったからだ。つまり、イギリスの2つの放送局は、過去に属するテレビ番組を見聞きし、写真にまで撮ったのである。しかし、これもまた驚くにはあたらない。もうお分かりのように、あらゆる出来事は『時間』と高次の『空間』言い換えれば『4次元』では、許されることなのだ。