モ ナ ド の 夢

モ ナ ド の 夢

『4次元宇宙の謎』⑨  

 我々に見える形の時間
 
 我々に見える形の『時間』つまり過去・現在・未来に分割された『時間』は存在せず、『4次元』に対する我々の不完全な感覚が生みだす一時的な幻覚に過ぎないことは、既に述べた。我々に見える形のという条件は極めて重要である。現実には『時間』は3つの別々の『時間』に分かれてなどいないからだ。分割してしまったのは、我々の責任なのである。
 話を分かり易くするために、『時間』を田舎道に喩えてみよう。この喩えは問題をはっきりさせてくれる点でうってつけである。
ある晴れた朝、静かな田舎道を歩きながら、周囲の風景を眺め楽しんでいるとしよう。長い道のりを歩いて、1時間後には4マイル程来た。さて、我々はこの田舎道が3本の別々の道に分割されていないことを知っている。−既に歩いた道の部分と、今歩いている短い部分、まだ歩いていない部分の3本である。この道は全部が1本の道として存在している。我々がいくら勝手に分割したところで、その分割は道自体に存在するわけではないのだ。
 
 この田舎道と同じように、『時間』も3つの別々の部分に分かれてはいない。『時間』は1つで、それが過去と現在と未来に分かれるのは、あくまで我々が勝手に生み出した全くの錯覚なのである。勿論、時間は田舎道よりずっと複雑な現象だが、似たようなものであることに変わりはない。我々にとっては“現在時”だけが現実である。それは道路の、我々が今歩いている部分で、自分の目で見、手で触ることができるからだ。長い道の他の部分はそうはいかない。そこで、実用上はそれを手の届かないものと考え、我々にとって存在しないものとみなす。これが『時間』の過去や未来に対する我々の態度なのである。無論『時間』や人生を考えるとき、我々は過去がかつて存在した−それが我々にとって現在だった時に−ことを充分承知している。事実、我々の頭は、その過去がもたらす記憶の種類次第で、悲喜こもごもの感慨とともにはっきり思い出す。とはいえ、我々には、良かれ悪しかれ過去は永久に去り、2度と連れ戻すことはできないのだという強い確信かある。

 未来もまた我々にとっては存在しないが、それに対する見方は違う。我々はいつでも未来をちょっぴり怖れている。その理由は1分先、1時間先、1ヶ月先、1年先に何が起こるか、さっぱり分からないからだ。我々はそれが全くの未知であるために、未来を怖れる。今現在自分の地位がどんなに高く強固に思えても、来るべき歳月にどれ程多大の希望や期待を抱いていても、我々はいつも自分の将来を不安に感じている。未来が有り難くない驚きに満ちていることを、我々は十二分に承知している。角を曲がった途端に、不吉な事が待ち受けている可能性がいつでも存在しているからである。





 “流れる”時間の錯覚
 
 我々の『時間』はいつでも一方向に、過去から未来へと“流れて”いるように見える。このプロセスには終わりがなく、我々の知る限りでは、永久に続いて行く。だが、実際には『時間』はどの方向にも流れず、高次の『空間』に静止して永久不変であることを我々は知っている。『時間』が静止しているとすれば、我々に“流れる”時間の錯覚を起こさせるためには、他の何かが『時間』の前を動いていなくてはならない。この仮定は論理的で正しい、とすると、残るのは我々自身と物質世界だけであるから、静止した『時間』の前を動くのは我々であるに違いない。この運動かどのように実現されるのか、なぜ一方向へなのかは分からない。だが、あらゆる点から見て、この運動は高次の『空間』で起きており、我々の物質世界全体がその高次の4次元空間を通り抜けているように思われる。言い換えれば、この運動は『4次元』で起こり、そのために知覚されないのだ。



 ここで、『時間』が静止し、我々が物質世界と一緒に高次の『空間』の中を動いているという仮定に立ち、簡単な図式の助けを借りて、“流れる”『時間』の錯覚がどうして我々の意識に生じるのか見てみよう。まず初めに、1本の直線を引き(図1)、この直線が静止した『時間』を表わすとしよう。今はまだ、この直線はまったく空白である。

 
 次に『時間』の直線に向き合うように、意識をもつ観察者を表わす“O”を加える。これで『時間』の直線とそれに向き合う意識を持つ観察者ができた(図2)。今はまだ『時間』の直線上に観察者が見るべきものはない。
 今度は『時間』の直線に、物質世界の“事象”や“出来事”を表わす不規則な色付きの線をいくつか書き加えよう。これらの線が何を表わすかは重要でない。樹木、人間、建物等、ほとんど何でもかまわない(図3)。これで、意識を持つ観察者が向き合うのは空っぽの『時間』ではなく、いくつか興味の対象となるものがある『時間』となる。これらの事象や出来事は動かないが、図に見られるように、時間的広がりを持っていることを忘れてはならない。さらに1歩進めて、観察者に狭い幅を加えてみる。これは観察者の“現在時”への意識的注意を表わしている(図4)。
 
 観察者に“現在時”を加えたことで、彼にとっての『時間』が自動的に3つの別々の『時間』に分割された。彼の左側が過去、彼の位置は“現在時”、右側は未来である。しかし、見て分かるとおり、現実に『時間』の線の上では何も変化していず、全ては元のままである。変化は観察者にとってだけだ。それは彼が“現在時”に制約され、彼にとってはそれだけが現実となったことから生じたのである。だが、これが全てではない。ご承知のように“現在時”は決して静止せず、常に1つの方向、過去から未来へと動いている。そこで、図にこの運動の方向を示す矢印を加えよう(図5)。
 
 さて、観察者と“現在時”が一定の速さで過去から未来へと動く時、何が起こるか考えてみよう。図をよく見て頂けれぱ、『時間』の直線の上にある“事象”や“出来事”を表わす不規則な線の“現在時”の幅にはさまれた部分が、ちょうど映画のように、生き生きと変化を付けて動き出す様に見えることが分かるだろう。もちろん、“事象”や“出来事”を表わす線は静止したままなので、この動きや変化は錯覚に過ぎない。しかし、観察者にとっては、物質世界でそうあるように、『時間』が“流れ”、事物が変化するように見えるのだ。
 この見かけの運動は、“現在時”と同じ幅の窓を空けたボール紙を図に重ね、『時間』の直線に沿って左から右へゆっくりと動かしてみれぱ、一層はっきりする。窓から見える不規則な線は、変化し動いているように見えるだろう。ちょうど我々の意識が物質世界で知覚する運動と、同じことである。
 この例では、単純化のため、重要なことを1つ無視していることをお断りしておく−観察者の肉体もまた、『時間』上の広がりを持つということである。




 意識精神と無意識精神の出会い
 
 催眠術という現象は、まだ科学によってはとんど解明されていない。だが、意識や無意識の精神に影響を与えるその力から見て、暫くの間、心霊現象の探究に理想的な補助手段と思われていた。残念ながら、これまで多くの心霊研究者によって行われた実験では、理由は分からないが、どちらかというと悲観的な結果が出されている。これは実に意外なことで、多分実験にどこか誤りがあったのだろう。もちろん催眠術にも限界はあるだろうが、ある有名な催眠術師が最近述ぺたように、催眠とは意識精神と無意識精神が出会う状態なのである。それが事実なら、高次の現象の探究のために、これ以上のものを望めるだろうか。しかも、この理想的な状況が、大抵の場合訳なく安全に得られるのだ。ただし、そのような実験では、催眠術師と被術者の双方が、実験の目的だけでなく、特に高次の『空間』や『4次元』と自分との関わりを充分承知していることが極めて大切である。言い換えれぱ、『4次元』についてよく知ていなくてはならないのだ。




 潜在意識を解放−幻覚剤
 
 幻覚剤については、ここで改めて紹介する必要もないだろう。残念ながら、それほど世界中の大勢の人々に知られ過ぎている。幻覚剤には、LSD25、ブフォテニン、ハルミン、メスカリン、ハシシを初め、もっと無名のものまで色々あり、いずれもトランス状態と鮮明な夢を誘発する。あらゆる幻覚剤に共通する大きな特性は、人間の心霊的側面に影響を及ぼす力で、結果的に意識を制限して潜在意識を解放してくれる。使用者のほとんどは気付いていないが、こうした薬は意識が“現在時”と物質世界に縛られる状態から脱け出す手助けをしてくれる。一旦、脱け出してから以後に起こることは全て、当人の生得的な心霊能力と、超常現象に関する知識、その他『時間』と高次の『空間』に直接関連する沢山の偶然的要因によって決まってくる。幻覚剤は新しいものではなく、その特性は古代の占い師や予言者達に、既によく知られていた。未開部族のまじない師や占い師も大抵幻覚剤の特性に通じているが、普通は自分だけの秘密の調合物の方を好むようだ。
 
 最近アマゾンの広大なジャングルで、あるヨーロッパ人の探険家が経験した次の実話は、そのような薬が発揮する力のほんの一例に過ぎない。この探険家は、重要な用件でリオデジャネイロに出向いた仲間の身を案じていた。何か変事があって、リオに辿り着けなかったのではないかと、気を揉んでいたのだ。部族のまじない師は友好的な、なかば文明化した老人で、自身も何度かリオヘ行ったことがあり、この探険家に同情して、夜になったら友人の身に何が起きたか見てあげようと約束してくれた。その夜、まじない師は探険家を自分の小屋に招いた。用意ができると、特製の秘薬を一口飲んだ。間もなく彼はトランス状態に入った。
 
 信じられぬ思いで見入る探険家に、まじない師はやっと友人を見つけたと告げた。ちょうど今、リオの町外れのある小さなホテルの前で、ククシーを降りたところだという。頭の禿げた太った小男が、白づくめの服の上着の襟に赤いカーネイションを差して出迎えた。続いてまじない師は、2人がロビーの奥まった所に席を占め、友人が小男に天然の金塊と宝石の入った小さな袋を手渡す様子を、こまごまと語った。小男は中身を入念に調べると、小切手らしく見える紙片を渡した、とも付け加えた。確かにそれは某銀行宛てに振り出した小切手で、金額は正確にアメリカ・ドルでこれこれだ、と言う。探険家は唖然とするぱかりだった。しかし、数週間後に友人がようやくリオから戻って来ると、まじない師がトランス状態で見たものは細部まで事実通りだと認めたので、その心霊能力の凄さにほとほと感心したという。まじない師は1つの事実も間違えず、遅れた理由もちゃんと説明してくれたのである。
 
 これはこの種の薬が驚くぺき心霊能力を発揮させることを示す、一例にしか過ぎない。似たような実例は、世界中の未開人達の間で日常よく見られる。してみると、彼らの幻覚剤の方が我々のより優れているのかも知れないし、彼らの方が我々より優れた心霊能力者なのかも知れない。とはいえ、幻覚剤は全て人間の健康や精神衛生上有害であるから、あくまで避けた方がよいことは言うまでもない。




 睡眠に関する高次の理論
 
 本書の冒頭で約束したように、ここで睡眠に関する我々独自の理論を立ててみよう。ほとんど全ての理論が、睡眠を当人の心霊的側面とは関係のない純粋に肉体的な現象とみなしている。睡眠がなぜ必要なのかについて、満足のいく説明を与えられないのは、恐らくそのためだろう。だが、睡眠とは実は、ある高次の現象の偶然の結果ではなかろうか。肉体とは何の関わりもなく、我々の意識や不完全な『時間』感覚に関係しているのである。
 
 周知のように、年齢、人種、文化、その他どんな区分にも関わりなく、誰でも健康な最高のコンディションを保とうと思えば、毎日ある程度の時間は睡眠を取らなくてはならない。また、人間が目を覚ましている間は、1分の休みもなく、我々にとって唯一の現実である“現在時”の意識的観察に、注意を集中していなけれぱならない。そこで、この意識による“現在時”の観察は強制されたもので、我々の本性ではないことを思い出して頂きたい。『時間』に対する我々の不完全な感覚から生じているだけなのだ。まさにこのため、意識による“現在時”の観察が何時間も続くと、その間にどんな仕事をしていようと、必ず我々には精神的緊張が生じてくる。この精神的緊張を解き放つもっとも容易な方法は、睡眠を利用することだ。睡眠中なら我々は、意識による"“現在時”の観察から自由になれるからである。恐らくそう考えれぱ、睡眠の謎や、なぜ目を覚ましたままベッドで休むだけでは充分でないのか、説明がつくだろう。




 4次元に関する最後の考察
 
 本書の末尾近くになっても、『4次元』に関する沢山の重要な疑問に、まだ答が出ていないことが痛感されてならない。だが、残念ながら、それらの疑問にはまだ誰1人真の解答は与えられないのだ。そうでないと言ったら、読者に対して不正直ということになる。これまで多くの努力が積み重ねられてきたにも拘わらず、『4次元』の謎は依然としてまだ解かれていないことを、率直に認めなけれぱならない。
これだけの才能と科学技術が自由になるのに、まだ『時間』の謎か解けないでいることを、不思議に思われる向きもあるかも知れない。しかし、これは容易ならぬ仕事である。『4次元』を研究したり、単に関心を持っているだけの人を含めても、その総数は、例えば新兵器の開発に携わる大勢の人々や、それに投資される天文学的な金額と比ぺたら、話にもならない少なさなのだ。

 残念ながら『4次元』の間題は、我々にとってまったく馴染みのない革新的な形の高度の思考を含んだ極めて複雑な問題であり、また我々の限られた知能では解明の困難な問題である。その上、我々が『4次元』に関心を持ち出したのは比較的最近のことであり、原始人が現在の知的発達段階に達するまでには、何百万年も掛かったことを忘れてはならない。それでも、我々は一歩また一歩と、新しい知識を積み重ねつつある。いつか、多分それほど遠くない将来に、運さえ良けれぱ、全てを解き明かすことができるだろう。
 
 その運命の日は、新時代の始まりを高らかに告げ、人類にとっての転回点となるだろう。人間は不完全で誤りを犯しやすい生物の状態から抜け出し、真の完成に向かって最後の一歩を踏み締めたことになるのだ。この革命的変化によってもたらされる成果を全て予想することは難しいが、少なくともこの“未来人”か我々より遥かに優れた存在であることは間違いない−真の超人類の登場である。病気、飢餓、貧困、無知、戦争、暴動、偏見など、現在我々を悩ませているあらゆる愚かさは、過去のものとなるだろう。我々の知っている『時間』『空間』『物質』の制約を解かれた、“未来人”の拡大された世界には、人類の誕生から終末までの全歴史が、そして、恐らくはそれ以上のものが含まれることになるだろう。
 他のあらゆるものと同様、宗教も影響を受けずにはいられない。それも当然で、なぜなら“未来人”は我々より遥かに進んだ知識を持ち、自分の世界の一部になってしまった“あの世”の本質にも精通しているだろうからだ。それを知ることで、“未来人”は我々がどうしても解けなかった多くの根本的疑問を理解できるようになるだろう。例えぱ創造における人間の理由と目的とか、神をも含め、自分以外の万物との真の関係についての疑問などを。

 最後に、『4次元』や高次の4次元世界は別に神秘的でも超自然的でもないことを、もう一度読者に対して強調しておきたい。『4次元』は時空間に内在する属性に過ぎず、高次の4次元世界は『時間』と高次の『空間』の中に、まだ我々には理解できないが、にも拘わらず我々の呼吸する空気と同じ位、自然で現実のものである自然法則に従って存在することを忘れてはならない。いつかは我々にも、それを理解することができる時が来るだろう。それまでの間、我々は誰でも、その解明に小さな寄与をすることかできる。『4次元』の探究には、精巧な科学装置を集めた金の掛かる実験室も、特別な心霊能力も要らない。『時間』の本質についての正しい理解と、神が我々1人1人に与えて下さった観察と推理の能力さえあれぱいいのである。