モ ナ ド の 夢

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「宇宙の真理」金光教篇① ── 復活された国之常立神 ── 

  昭和39年1月、岡山市にある金光教下石井教会を訪ね、先生に教義についていろいろとお尋ねしたり、本を頂いたりして、教義に深い共感を得て帰りました。その後、金光教に関する本を読んだりして勉強しているうちに、私は金光教の教義以上に金光教の祭神である天地金之神に深い関心を持つ様になったのであります。天地金之神或は金神は日本神典である古事記日本書紀には御名が出てない神であります。では天地金之神は日本古来からの神ではなく異国から渡って来られた神であろうかと考えたこともありました。金神という神は元来中国の暦や家相学などの本に出て来る神でありますが迷信の神であり架空の神であると考えられるのであります。現代でも日本の暦には金神遊行の図などというのが載って居りますがこれは迷信であると言えるのであります。しかし現実に金神の崇りを受けたという人もよくあり、更に金神を祭神として信仰する金光教と呼ぷ宗教があると言う事実は一体何を意味するものでありましょうか。金光教の祭神天地神之神は中国の迷信にある金神とは別の神であろうと私は思うのであります。
 
 金光教の教えの中に「天地金之神は、はやり神ではなく昔からある神ぞ」という言葉があります。これが恐らく金神の正体を知る一つの手掛かりとなるものでありましょう。金神というのは仮の名であって、本当はもっと別の神名のある神だったのだと私は思うのであります。金神の正体は天孫降臨以前の日本を支配していた人々の神、即ち日本神典では国津神と呼ばれている神々の中の一柱であろうと私は思うのであります。しかるに天孫降臨の後に天孫系の人々のために滅ぼされて祀られる神社も無く祀る人も居なくなり、諸国を巡って人々に崇りをして廻られる様になったのが金神であったのだと思います。では天地金之神は古事記に語られている国津神のうちどの神に当られるかということは今の処私には断定ができません。しかしそれはそれとして私は天地金之神が世に出られ金光教が世に弘まって行ったことの中に深い意義のあることを知ったのであります。それは日本や全世界に新しい時代が訪れようとしているということであります。
 
 日本の歴史に於いては、神代と言われた太古の時代や天孫降臨という史実については科学的に正確なことは解明せられては居りません。しかし次の、霊感を受けて得た私の詩の中に古代日本歴史の謎が秘められているのであります。「見よ日は昇る 新世界長き苦難の世は去りて 神の御稜威も厳そかに 新しき世は明けて行く」とは天孫降臨に依って天孫系の人々のために滅ぼされた人々の子孫の人々にとって長い苦難の時代は終わって神の御稜威のもとに新しい時代が開けていくという意味なのであります。天孫降臨以前の日本は須佐之男命の系統の大国主命などが日本を支配していたのでありました。そこへ天照大神の系統の邇邇芸尊(ににぎのみこと)が高天原から降臨して来られて日本は天照大神の時代になったのであります。しかし天照大神の支配せられる時代が永遠に続くという訳ではないのであります。大本教の神諭に「三干世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の金神の世になりたぞよ」という言葉があります。これは、何を意味しているかというと、天照大神の時代は終わって地球の神、国常立尊が日本を統治せられる時代が来たということであります。
 
 私が昭和38年夏、岡山市三門の真言宗醍醐派の成願寺へよく参っていたある日、日高森禅導師が私に「安原さん、天照大神のお命は2,500年です。」と言われたことがありました。この意味は天照大神が地球の守護神として地球を統治せられる時代は2,500年を以って終わるという意味であると考えられるのであります。そうしてその2,500年の終わりは多分、幕末頃から明治時代であったと考えられるのであります。それは明治維新の頃から日本に新興宗教が次々に生まれてきたことからも考えられるのであります。それは、天照大神の統治せられる時代には圧迫せられて世に出られなかった多くの国津神が新しい時代の到来と共に復活して来られようとしていることだと考えられるのであります。

 宇宙学に於いても、天照大神は地球の守護神の地位を解任せられ新たに天地大神という女神が地球の守護神に任ぜられたと教えていますが、要するに天照大神の地球統治の時代は終わったと言えるのであります。明治維新以来、多くの新興宗教が日本に生まれて来たのには理由があります。それは天孫降臨とは、皇室の祖先の人々が乱れていた日本の国を平定し平和な国を建設する様にという使命を与えられて日向の高干穂の峰に降臨されたことでありますが、実際には天孫系でもないのに天孫系だと偽ったりして、先住民族であった国津神系の人々を迫害したり領土を奪ったり国津神を祀る神社を壊したりして悪事を重ねた人々があったのであります。そのために皆が仲良く平和に幸福に暮らして行ける神の国を建設しようとした日本肇国の大理想である「八紘一宇」は遂に実現出来ずに終わり、天孫降臨の時以来、国津神の中には神社を失ない、氏子をも失なってしまった神もあり、国津神系の人々の中には祖先の神を祀る神社を失ない、領土を失ない、今日の特殊部落の様な地位に落されて長い間苦しんで来た人々も多かったのであります。この様なことについては天孫降臨に反抗して敗れた人々もあった訳でありますが、罪なくして理不尽に領土を奪われたり迫害を受けたりした人々もあったのであります。その様な悪事を重ねた最大の元兇こそ天児屋根命の子孫藤原氏なのであります。そうして天孫降臨に依って祀ることを禁じられたり、日本の歴史から抹殺せられた神々が再び日本の歴史の上に登場し活躍せられる新しい時代が訪れた、と言えるのであります。金光教天理教、皇道大本、ひとのみち教団などの新興宗教が次々と出現したという事実は、天孫降臨の時以来、世間の片隅に潜んで不偶をかこちつつ新しい時代の来るのを待って居られた多くの国津神が今世に出られつつある印しであります。
 
 天理教から分離独立した天理本道という団体では、今の天理教で教えているお筆先でなくもっと恐るべき内容のものがあります。例えば「高山の真の柱は唐人や、これが第一神の立腹」というのがあるそうですが、高山の真の柱とは天皇のことを指して居り、唐人とは外国人という意味でありますから、はっきり言えば「天皇は外国人の子孫だから日本を支配する権利はない」ということになり、そのことを神が非常に立腹して居られるのだ、という意味になり、天理教の本意は天皇制否定、天皇制打倒にあったとも考えられるのであります。現代の新興宗教の中には堂々とそれを表明しているものもあれば、表向きは当り前の教義を掲げ、裏では天皇制打倒を図ろうとしているものもあると言えるのであります。そのことは天皇制そのものにも重大な危機が迫っていることを暗示しているのであり、天皇を始め皇族の方々が日本歴史の嘘や矛盾や誤りを覚ろうとせられず社会の改革を図るために努カせられなければ天皇制の崩壊も起り得るのであります。
 
 では天孫降臨という歴史的な大事件がその後の日本にいかに大きな変化を与えたのでありましようか。そのことは大国主命の国ゆずり以外については余り多くの記録が残されて居らず、また日本の古代史そのものが上流階級の邪悪な人々のために大幅に書き変えられ、真実は消されてしまっているために正しいことは判らないのであります。古事記にも日本書紀にも多くの嘘があると考えねばならないのであります。天孫降臨は決して侵略という様な悪い事ではなかつたのであります。
天孫降臨の理想とする処は大祓の祝詞にも書かれている如く、「豊葦原の瑞穂の国を安国と平らけく治しめす」ということにあったのであります。しかるに天児屋根命の子孫の藤原氏などが神の御心に叛いて、邇邇芸尊と共に降臨して来た人々の子孫を次々と滅ぼして自分達の一族丈の繁栄を図り、多くの名家や名門の家を亡ぼし、皇室と婚姻関係を結んで天皇家外戚となって右大臣一左大臣、摂政、関白などの高位高官を一族で独占し私利私欲を図って勝手な政治をし、栄耀栄華を図り、大東亜戦争の敗北迄悪事を続けて来たのであります。
 
 日本には古来から「敬神崇祖」と言う言葉がある如く、日本人は神を敬い祖先を尊ぶ美風を持っていました。天孫降臨の時以来、先住民族の人々が祀っている神社を取り壊したり、祖先の神々を祀ることを禁じたり、さらに子孫を皆殺しにして根絶やしにしたりしたことは誠に大きな罪なのであります。その様な極悪非道な行為を平気でやっていた者が天皇の側近にいたのであります。
 
 大本のお筆先に「三干世界一度に開く梅の花艮の金神の世になりたぞよ」とあるのは天照大神が地球を統治せられる時代は終わって、再び国常立尊が地球の神として地球を統治して行くべき時代が来たということを告げているのであります。そうして大本の「霊界物語」の中には埴安彦神、埴安媛神、また豊雲野尊が重要な意味をもって登場して来るのも、過去の日本歴史の嘘や矛盾に対する反動であるとも言えるのであります。恐らく神武天皇東征以前には、大和地方のどこかに埴安彦神、埴安媛神を祀る神社があり、埴安彦神を祖神として祀る人々がいたものと思います。
 
 私達が戦前や戦時中迄二月十一日の紀元節の日に学校で祝典の時に歌っていた紀元節の歌の中に「海原なせる埴安の池の面より猶広き」という一節がありました。遠い昔、神武天皇が大和を平定せられて天皇の位にお即きになった頃には、大和地方のどこかに埴安の池と呼ばれる湖か大池があったものと思われます。そうして多分、埴安彦神、埴安媛神を祀る神社があり、埴安彦神を祖神として祀る豪族も住んでいたものと思うのであります。しかし埴安彦神を祖神として祀る一族は大和朝廷に依って滅ぽされ、神社は壊され、一族の人々の再起を図る機会を奪うために今日の特殊部落と同じ地位に堕とされ、いつしか自己の祖先神の名さえ忘れ去って今日に至ったものと思うのであります。
 
 大和地方には特殊部落が非常に多いと言われますが、それらの特殊部落の人々は恐らく埴安彦神を祖神として祀っていた豪族や鳥見の長脛彦らの大和地方の豪族の子孫であろうと思います。日本の古代史は勝者、支配者の歴史であって支配階級の人々が自己に都合の良いことばかりをでっちあげ、敗者に濡れ套を着せて殊更に追害する様なことばかりを書いている面が非常に多いと思われます。大和地方に多くの特殊部落を作ったのも、時の神武天皇の参謀忍日道臣や饒芸速日(にぎはやひ)命等であろうと私は思うのであります。忍日や饒芸速日は自分達の悪事を隠すために、悪事を知っている人々を恐れて徹底的に弾圧や迫害を加えたものと思われるのであります。