モ ナ ド の 夢

モ ナ ド の 夢

「宇宙の真理」 序文−宗教は学ぶものであり、決して信じてはいけない

 昭和38年8月15日、私が神より日本肇国の大理想である八紘一宇の大事業の実現のために立つ様にという使命を受け、1つの世界建設のための実賎理論の完成のために多くの宗教、思想、学問などに真理を求めて研究する様になって以来、満18 年の歳月が流れ去りました。その問、何度か新世界連盟の結成と活動を考えながら、時期尚早く志を遂げる機会を得ず、昭和51年、旧著作「新しき光 一」を出版して世に問うも殆ど理解者を得ないまま4年を経過し、昨昭和55年2月11日、紀元節の日より神霊界よりの働きかけが強くなり、神よりの援助を得てここに「宇宙の真理第二巻 新しき光」と題して、私が昭和38年以来、神から授けられた真理や多くの宗教に接して得た真理をまとめて1巻の書として出版する機会を得たことは誠に感慨無量であります。
 
 私が既に「ノストラダムスの予言に対する反論 人類滅亡の危機を救う道」の中で述べている如く、確実に地球人類滅亡の危機は日に日に迫りつつあります。しかも世の多くの人々は人類滅亡の危機が迫っていることも知らず酔生夢死の状態で何の自覚もないままに日々を暮らしている例が多く、人類滅亡の危機を知っている人々でさえノストラダムスの予言などを信じ過ぎて人類滅亡はもはや避けることの出来ないことであると考えて悲観し絶望している人々もあり、これを防ぐ方法がないと嘆息している科学者や有織者もまた非常に多いのであります。地球人類に滅亡の危機が迫っていることは事実であります。しかしそれは避けることの出来ないものではないのであります。地球滅亡の危機は地球人類が誤れる心で築いて来た現代文明の矛庸の故であります。故に地球人類が心の誤りを正し、矛盾だらけ誤りだらけの現代文明を改めさえすれば人類滅亡の危機を回避し輝かしい新文明を創造することも出来るのであります。

 私は、昭和32年に現代経済学の誤りに気付いて以来、多くの学問の矛盾についても研究して来たものであり、学問の矛盾や誤りが病気や貧困や公害や事故災難や戦争などを起す原因であることをつぶさに知ったのであります。しかし昭和38年以来、神の御心のままに多くの宗教について学んでみて、どの宗教にも何か尊い真理がある反面、何か恐るべき矛盾や誤りがあることを知ったのであります。そうして本来、人を救い世を救うはずの宗教が、多くの人々を不幸にし社会に多くの悲劇を起す原因ともなっていることを知ったのであります。故に世界の宗教のすべてを大幅に改革しなければならないことを痛切に感ずる様になったのであります。
 
 宇宙学教室の田原澄女史は、すべての宗教の背後霊は悪魔邪神であるから宗教を信じてはならないと説いて居られます。それはもっともなことであります。大本教で説く如く、万教同根であるならば多くの宗教が対立し合うはずはなく、すべての宗教が協調し融和することも出来るはずであります。しかし現実にそれが出来ないのはすべての宗教が悪魔邪榊の作ったものであり、人間を対立させ憎しみや怨みや怒りや軽蔑などの念を起させて戦争をさせ殺し合いをさせるのが目的で多くの宗教を作ったのだとも言えるのであります。現実に宗教間の対立が社会の様々な不幸や悲劇の原動力となっている事実はすべての宗教が邪教であるという宇宙学の教えを正しいと証明していると言えるのであります。しかし宗教を信じている人々は皆、自己の信じている宗教は正しいと思っているのであります。皆が宗教を正しいと信じている限り、理代社会に内在する多くの矛盾や誤りは解消することなく人類の不幸や悲劇が消滅することもないのであります。
 
 田原女史は、すべての宗教の背後霊は悪魔邪神であり、すべての宗教は邪教であると説いていますが、田原女史自身が多くの宗教を信仰したり研究したりした方ではありませんから、田原女史にはどの宗教のどこが誤っているのか判らないのであります。故にすべての宗教は邪教であるというだけではその宗教を正しいと信じて信仰している人々には理解も納得も出来ないのであります。すべての宗教の正しい部分はどこか、誤っている部分はどこかということを明らかにして多くの人々に納得させることが出来なければ単に多くの宗教を攻撃して見た丈の結果に終わってしまうのであります。
 
 私は多くの宗教に接し研究してみた結果として、どの宗教にもそれぞれ何か独自の真理があり、どの宗教にも何か矛盾や誤りのあることを知ったのであります。故にすべての宗教の正しい部分は正しいと認めて受け入れ、誤った部分は誤りと認めて排除するならぱ、すべての宗教の真理を万人共通永久不変の真理として皆の利益と幸福と世界永遠の平和のために役立てることも出来るのであります。しかし宗教家は教祖の教えを金科玉條とし絶対のものとして信じ受け入れることを要求するのであり、教祖の教えに矛盾があっても、矛盾の存在そのものを否定したり、矛盾のあることを指摘せられると、どの宗教にも矛盾はあるからこの宗教に矛盾があつても別段おかしくもなく気にすることもない、などと言ったりして、矛盾を改めようという気持ちは毛頭ないのであります。それでは何十年経っても宗教が進歩発展することはないのであります。教会の数は増加しても教義は教祖の時から一歩も進歩することはなく、矛盾や誤りを含んだままいつ迄も後世に伝えられて行くのであり、教祖の教えの誤りを改めもっと素晴らしい教えに発展させて行こうという気風は全くないのが宗教界の偽わらざる姿であります。良い部分は更に発展させ誤った部分は改める様に努力して初めて宗教は健全な進歩と発展を遂げていくことが出来ると言えるのであります。その点で宗教家の人々は大いに反省すべきであります。
 
 どの宗教にもその宗教を信仰しておかげを受け幸福になったという人は沢山います。しかし一つの教団の信者全体から見るとおかげを受けて幸福になれた人の数は僅かであり、長年帰していてもおかげを受けられず一向に幸福になれない人の方がはるかに多いのであります。どの宗教にも素晴らしい教えがあり信仰しておかげを受けて幸福になれた人がいるのに、世の中に不幸な人々が沢山いるのは何故でありましょうか。それはどの宗教も信者の中の少数の人々を救うことはあっても、すべての信者を救うことは出来ないということをよく証明しているのであります。宗教家の人々は正しく熱心に信仰する人は救われるが、信仰の仕方が誤っていたり、信仰心が足りないから救われないのだ、と言って、おかげのないことや幸福になれないことは信者の責任である、と答えます。しかし少くとも宗教家として信者から布施やお供えや祈榛料や寄附や献金を受取っている以上、信者の信仰が誤っていれぱ正しい信仰が出来る様に指導し、不幸な人が幸福になれる様に責任を持って指導する丈の心意気や情熱があってもよいと私は思うのであります。少くとも信者の中に不幸な人がいるということは、信者の信仰が誤っているのだ、信心が足りないからだ、と言って信者の責任にするのでなく、信者の中に不幸な救われない人々がいるのは宗教家としての自分達の指導が誤っているからだとか指導の努力が足りないからだと反省して、すべての信者が救われ幸福になれる様にする指導が必要であると私は思うのであります。
 
 またどの宗教にも正しい部分も誤った部分もあるのであって、正しい部分を受け入れ信仰した人は救われることが出来る反面、誤った部分を受け入れて信仰した人はむしろ不幸になるとも言えるのであります。どの宗教の信者にも救われた人と救われない人があるのはそのためでもあります。故にすべての宗教を信ずる人々がその宗教の正しい部分丈を信じ誤った部分は信じない様にすれぱ皆がそれぞれ何かのおかげを受け幸福になれると言えるのであります。しかしどの宗教にも何か真理はあっても、どの宗教もそれぞれ違った真理を説いているのであり、それはどの宗教も宇宙の真理の一部分を説いているに過ぎないのであります。故に一つの宗教丈をいくら深く勉強し熱心に信仰しても宇宙の真理の極く一部分を覚ることができるのみであります。故に私達は一つの宗教の信者になって一つの宗教丈を信仰する狭く小さな信仰をやめて、宗教宗派に拘らず、すべての中に真理を求め、すべての真理を尊び受け入れ実践するならば更に賢明になり幸福になり進歩向上して行けるのであります。この本は私が多くの神々を信じ、多くの宗教の信仰を通じて得た様々な教えや真理をまとめて一冊にしたものであります。

  今、地球人類滅亡の危機は迫り世界の情勢は日々に悪化して行きつつあります。この様な時勢にあって、宗教の内部に含まれた様々な矛盾や宗教宗派間の対立抗争などが、いかに社会に大きな不幸や悲劇をひき起し人類滅亡の危機を深刻化しているか図り知れないのであります。もはや世界宗教者平和会議などで事態を収拾出来る時代ではないのであります。すべての宗教を信ずる人々が自己の信ずる教えの中に含まれた矛盾を覚り矛盾を排除し、他の宗教の真理をも認め受け入れて、皆が宗教宗派を超越して、全人類の利益と幸福と世界永遠の平和を実現するために心から協力し合わねぱないのであります。皆がすべての宗教の真理を受け入れ矛盾を排して理想の世界を建設するために協力し合うならばすべての宗教は活かされるのであります。皆が自己の信ずる宗教に拘り矛盾を改めず対立を続けるならばすべての宗教はやがて滅亡して行かねばならないのであります。私はすべての人々が宗教の矛盾を覚り正しい信仰に還られることを心から念じて、私が数多くの宗教の信仰を通じて得た真理を多くの人々にお伝えしたいと思う次第であります。                              
                                                                                                 昭和56年10月13日    安原修