モ ナ ド の 夢

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「宇宙の真理」金光教篇③

 さて天孫降臨とか神武東征、大化の改新建武の中輿、関ケ原の合戦などに於いて滅び去った多くの人々がありました。それらの中には自らの欲で罪を犯して滅亡した人々もありますが、罪なくして不幸にも滅亡させられた人々も多かったのであります。戦争は常に「勝てば官軍」と言われる如く勝者が敗者に対して不当な行為を押し付けてそれを当然のことと考えるのであります。そこに大きな誤りがあり罪があります。藤原氏の如きは一門の繁栄を図るために天皇側近の多くの名門の家を謀略に依って滅ぼしたのであり、そのために今は神に審かれて自らが滅びて行かねばならないかも知れない岐路に立たされているに拘わらず、近衛、鷹司、西園寺、一條などの名門の人々は自分達の上に降りかかって来ようとしている大きな不幸を気付くことも出来ない哀れな有様であります。藤原氏のために滅ぼされた家には菅原道真公の家菅原氏や吉備国の名門吉備氏などの多くの家があります。皇室では足利氏に滅ぼされた南朝があり南朝に殉じた多くの人々があります。或いは徳川氏のために滅ぼされた豊臣氏豊臣氏と共に滅ぼされた多くの人々があります。その様な滅びた人々の霊は長く怨みを忘れることが出来ず霊界に於いても怨みや憎しみの念は容易には消えないのであります。そのために現界に様々な不幸や悲劇が起こることも多いのであります。
 
 岡山県に生まれた黒住教金光教とは非常に対照的な宗教であります。黒住教の祭神は日本神道では最も尊い神である天照大神であり、黒住教祖は藤原氏の血統を継いでいる人であり、黒住教は皇室や武士階級とも結んで発展した宗教であります。それに対して金光教は人々から忌み嫌われ恐れられていた金神を祭神としているのであり、もと百姓であった教祖が教えを開いたものであります。故に金光教は社会で嫌われたり迫害されたりする弱者の側に立つ宗教であったと言えるのであります。そうして明治維新以来出現した多くの宗教の中には、皇室のために滅ぼされた国津神天皇制を打倒して過去の怨みを晴らし、自からの地位を回復しようと図っている例も多いのであります。その様な霊界に於ける対立が激化することは日本の危機を招くのみならず、人類滅亡の危機が迫っている現在、恐るべき不幸を呼び起こすことにもなるのであります。
 
 天孫降臨の目的そのものは正しかったのであります。しかし天皇や側近の人々が神の御心に叛いて多くの国津神に対して罪を犯したことも多かったのであります。そのために天孫降臨の目的は達成されず、国内に於いて戦争や対立は絶えず多くの不幸や悲劇が続いたのであります。明治維新以来、天皇制に反対の立場をとる宗教が次々と出現してきた根本的な原因はそこにあると言わねばならないのであります。
 
 私が金光教下石井教会を訪ねて得た詩「見よ日は昇る 新世界長き苦難の代は去りて 神の御稜威も厳そかに新しき代は明けて行く」の意味は、金神の如く長い間神社もなく氏子もなく、全国を遊行して崇りをしなけれぱならなかった神にも新しい時代が来たということであり、また天孫降臨以来迫害を受け、特殊部落などの地位に落されて長い間苦難の時代を送ってきた人々の上にも新しい時代が訪れて来ようとしている事を告げているのであります。更に次の詩「思えぱ天孫降臨の高き理想を受け継ぎて大行進の行く彼方さえぎるものぞ絶えてなし」の意味は「あなたが天孫降臨の正しい目的通り、皆の利益と幸福と世界永遠の平和の約束せられる理想の世界を建設するために努力を続けて行くならば、もはやそれを阻止しようとする者は誰もいないであろう」ということであります。
 
 嘗て元寇の役には2度ともに大暴風雨が起こりそのために元軍は敗北したのでありました。その時の暴風雨を神風と呼ぶことが正しいかどうかは別としても、元寇の役は日本が仕掛けた戦争ではなく蒙古側の一方的な侵略であったことは確かであります。故に非は蒙古にあって日本にあったのではないのであり、日本国民を救うために神が奇蹟を起こされたとしても不思議とは言えないのであります。しかし大東亜戦争の時、最後には神風が吹いて日本が勝つ、と言う人々は沢山ありましたが、遂に奇蹟は起こらず日本はみじめな敗北を喫したのでありました。それでは何故、大東亜戦争に神風が吹かなかったのでありましょうか。それは大東亜戦争は決して正しいものではなかったからであります。大東亜戦争の目的とする処は、大東亜共栄圏の建設であり、その理想の拠り所となったのは言うまでもなく日本肇国の大理想である八紘一宇の精神であります。しかしその大理想も日本国内に於いてさえ実現には程遠い状態でありました。八紘一宇の精神は国民のすべてが1つの家族の如く相和して平和に楽しく暮らしていける社会を建設するということでありました。然るに現実には、国内の少数の上流階級の人々が広大な土地や巨万の富や地位や権力を占有して私利私欲を図り、大多数の国民は苦しい生活を続けていたのであります。富裕階級の栄耀栄華の陰に圧政や差別待遇に苦しむ、特殊部落やアイヌ民族の人々がありました。国内におけるそのような状態を改めもせずに、大東亜共栄圏の建設も八紘一宇の理想の実現もできる訳がないのであります。皇族を始めとして貴族、政治家、軍部、資本家などの人々は神に対して真に大きな過失を犯したのであります。
 
 朝鮮併合、満州国独立、支那事変、大東亜戦争など、どの1つを例にとってみても日本が本当に正しかったと言えるものではないのであります。朝鮮併合の如きは日本政府の行なった最も愚劣な政策であったと言わねばならないのであります。日本皇室が朝鮮皇室と親しく協力し合って両国の一体化を図ろうとせられるのであれば、日本皇室と朝鮮皇室との間に婚姻関係を結び、両国の国民の往来を自由化し、兄弟の国として両国の親善と繁栄を図り、両国民の共通の利益と幸福を増進するための努力をすべきでありました。その様に努力するならば日本と朝鮮の両国民はいつか一つの民族ともなり、両国は自ずから1つの国となることも出来たかも知れないのであります。 遠い昔、朝鮮と日本との間には自由な国民の往来がありました。朝鮮から日本へ移住した人々もあり、日本から朝鮮へ移住した人々もあったのであります。日本人と朝鮮人との間には濃い血の繋がりがあり、言葉の繋がりがあり、文化や技術の繋がりも多かったのであります。その様な日本と朝鮮との親密な関係は朝鮮併合に依って打ち切られ、日本に対する朝鮮の人々の憎しみや反感や不信の念ぱかりが残ったのでありました。

 また満州人の民族自決五族協和大義名分を掲げて行なわれた満州国の建国もその結果は日本資本主義の満洲植民地化であり、満洲に移住した人々は現地の人々に対して差別待遇や搾取を続けたのでありました。私は朝鮮併合は決定的に日本が悪いと考えますが、満洲建国は満洲人の人々にとっては独立という意味で歓迎せられる点もあったと思います。
 古来から中国の周辺の諸民族は漢民族の武力に依る征服を受け独立を脅やかされたことも多く、満洲や蒙古やチベットなどの国が独立出来るならば大いに喜ぶべきことであったと思うのであります。しかし日本の援助に依る満洲独立は中国人に依る満洲の支配が日本人に依る支配や搾取に変わった丈であり、実質的には満洲人の平和や幸福や繁栄が期待出来る状態ではなかったと言わねばならないのであります。満洲に於ける日本人のすべてが悪かったのではないとしても、日本の支配階級は口先丈で五族協和の理想を掲げ、実際には満洲を日本の属国か植民地同様にしてしまったのであります。
 
 更に大東亜戦争に依って独立したインドシナ、マレー、フィリピン、インドネシアビルマなどの国々が日本のおかげで独立出来たという感謝の念を持たず、反対に日本を侵略国扱いにし、戦争に敗れた日本に多額の賠償金を要求したという事実を私達はいかに受け取ればよいのでありましょうか。大東亜戦争に於いて日本はアメリカ、イギリス、フランス、オランダなどの欧米諸国を相手として戦ったのであって、アジアに於ける日本との交戦国は中華民国丈でありました。言わぱ表面的にはインドシナやマレーやフィリピンやインドネシアビルマなどの国々は日本の友邦であり日本人にとってはアジアの同朋であったはずであります。しかし大東亜戦争に於いて日本がアジアの同朋から尊敬や信頼や近親感を失なったという事実こそ私達が最も大きく反省しなけれぱならない点であります。
 
 戦争以前には東南アジア各地の人々は日本を尊敬もし信頼もし、日本と協力して民族の独立や平和や繁栄を実現したいと念願していたのであります。日本国民が本当に大東亜共栄圏の理想の実現のために真心を以って尽くしていたならばアジアの歴史、更に世界の歴史は大きく変っていたはずでありました。しかし大東亜共栄圏の理想は口先ぱかりで誠の心が欠けていたのであります。そのことが大東亜戦争に於いて日本が決定的な迄、惨めな敗北を喫した最大の原因なのであります。しかし私は大東亜戦争に日本が敗れたことは日本が正しくなかったからであると考えては居りますが、アメリカやイギリスやフランスやオランダやソヴィエトなどの国々が正しかったとは決して思っては居りません。同盟国側も連合国側も共に正しくなかったのであり、大東亜戦争は正義と邪悪との戦いではなく、邪悪と邪悪との戦いであったと言わねばならないのであります。大東亜戦争が本当に正しいものであったならば神は必ず日本を守って下さったでありましょう。戦争は八百万の神々の御加護が無かったから日本が敗れたというのは甘い考えであります。大本教天理教などの教えを深く研究してみると、多くの宗教の神は日本が戦争に負けるように仕組んでいたのだということがよく判るのであります。いくら天照大神に戦勝の祈願をしても、他の多くの神々が日本を負けさせようとしていては勝ち目は無いのであります。そこに、天皇や軍部の思いもよらない誤算があったと言えるのであります。神の御心に叛く戦争をして戦勝を祈願し、天祐神助を期待し神風が吹いて、日本が勝つことを祈願するということが元々誤っているのであります。
 
 大東亜戦争に神の加護が無かった丈ではなく、多くの宗教の神は日本を戦争に負ける様に仕組んでいたのであります。大東亜戦争の敗北は、言わば天孫降臨以来の皇室や貴族階級・支配階級に対する國津神の反抗でもあり、過去の誤れる歴史に対する総決算だったのであります。大東亜共栄圏建設の野望は八紘一宇の大理想とは程遠い誤った考えや行為でありました。そのために天照大神の加護が無かったのみでなく、多くの宗教の神は誤った理想の実現を阻止したのであります。
 
 しかし、天地金之神は私に「あなたが天孫降臨と八紘一宇の大理想を受け継いで、人類の利益と幸福と世界永遠の平和の実現のために誠心を以って正しい努力を続けて行くならば、もはやその理想の実現を阻止しようとするいかなる神もなく、すべての神々は一つの世界建設の大理想の実現のために心から協力するであろう」ということを表明せられたのであります。しかし後は全ての宗教を信ずる人々が一つの宗教のみを正しいと信じ、宗教の殻に閉じこもって新しい時代の到来を無視するか、宗教の殻や拘りを捨てて本当に全人類の利益と幸福と世界永遠の平和のために協力し合う心に成り得るか、この一点にかかっているのであります。全ての人々が新しい時代の到来を覚り、宗教宗派の相違を超越して皆が理解し合い協力し合って20世紀末の人類滅亡の危機を救い、新文明を創造して21世紀に理想の新世界を建設して行くことが出来るか否かの一点に地球人類の運命がかかっていると言えるのであり、地球人類は今、滅亡か栄光かの岐路に立っているのであります。そうして地球人類滅亡の危機を救い輝かしい新文明を創造することが出来るか否かは、地球人類自身が過りを覚り、理性に目覚めることが出来るか否かに依ってすべてが決まると言えるのであります。