モ ナ ド の 夢

モ ナ ド の 夢

「宇宙の真理」宇宙学篇④ ── 悪魔の支配する地球から神の支配する地球へ ──

 次に宇宙学では悪魔邪神邪霊の存在と霊波・念波について説いています。私は金光教の信仰を通じて悪魔邪神というものは人間が作ったという場合もあることを述べて来ました。しかし金光教世界救世教を通じて知った悪魔邪神の世界とは全く違った悪魔邪神の世界が存在することも事実であります。それは私が宇宙学を学び洗心の修業をする様になってから次第にはっきりと感じられる様になって来たのであります。白昼ふと目を閉じた瞬間に瞼に恐ろしい悪魔の姿が写ったり悪魔の声が聞える様になったのであります。その事を通じて悪魔の正体を少しづつ知ることが出来る様になったのであります。正神や正霊は人間を幸福にしてやりたいと思い人間が幸福になることを喜ばれるものであります。それに対して悪魔邪神や邪霊は人間を不幸にしてやりたいと思い、人間が不幸になることを喜ぶものであります。では宇宙には何故悪魔邪神という恐ろしいものが存在するのか、悪魔邪神は何時から存在する様になったかという点については、どの宗教でも本当のことは何も説いてないのであります。ゾロアスター教では世の終わりの時、善と悪の戦いが起こり悪が滅びて善が栄える時代が来ると説いていますがそれは誤りであります。霊の世界は本来、正と邪、善と悪、プラスとマイナスという二元の世界に分かれているのであり、善が栄えて悪が滅びる時代は永遠に来ないのであり善も悪も共に栄えるのが正しいと考えられるのであります。
 
 宇宙学では「善を説く者は悪魔である」と説いて居り、黒住教では、善人の罪を作るな、と教えています。それは世の中に善が生ずるから悪が生ずるのであって、善がなければ悪もないと言えるのであります。宇宙学では悪魔邪神は抹殺するとよく言われています。しかし神の本心は悪魔邪神を抹殺することにあるのではないと言えるのであります。正邪善悪を超越して全ての霊が尊い霊になれることを神は念願して居られると言えるのであります。しかし現実には神の御意志や宇宙の法則に叛いて地球人類を滅亡させようとしている霊も存在するのであります。神はその様な霊を何とか帰順させたいと念願して居られるのであって、悪魔邪神邪霊は全て抹殺すれぱよいと考えて居られるのではないのであります。地球に悪魔邪神が多いのは地球人の心が邪悪で穢れているからであります。地球人の心が邪悪で穢れているから邪神邪霊が喜んで集って来るのであります。故に地球人の心が浄化されれば地球人に取り憑いている邪霊も浄化される場合も多いのであります。日本人は節分にはよく「福は内、鬼は外」と言って豆播きをしますが、ではどの家からも追い出された鬼は何処へ行くのかと言えぱ行く処は無いのであり結局何処かの家へ入り込まねばならないのであります。邪霊の世界も同じであり、邪霊抜い等と称して邪霊を追えぱ追われた邪霊は何処かへ行って誰か他の人に取り憑くしか方法はないのであります。皆が事故の心の浄化を図るように努力してこそ霊の世界も人間の世界も浄化されて理想の世界を建設することができるといえるのであります。

 さて次に霊波念波について少し述べてみたいと思います。霊波とは霊から送られて来る想念であり、念波とは生きている人間や動物から送られて来る想念であります。宇宙学では念波天文学と称して星の世界から送られて来る念波を受信して星の世界のことを知ろうとする方法があります。田原女史は星の世界から送られて来る想念を受信して優良星界か不良星界かの区別をせられたのでありますが、実際に星の世界から様々な念波が送られて来ているのであります。それらの念波の中には優良星界から送られて来る良い念波もあれぱ、不良星界から送られて来る悪い念波もあります。心の清らかな人は優良星界の良い念波を受信し、心の穢れた人は不良星界の悪い念波を受信するのであります。言わば自己の心に相応しい念波や霊波を受信するのであります。しかし多くの人々は霊波や念波を感じる能力がないために悪い念波を受けて自己が不幸になったり低級になったりしても気付くことが出来ないのであります。

 私は昭和38年頃から、霊波や念波を感じる様になりました。例えば様々な品物からでも霊波念波が放射されているのをよく感じたものでありました。絵や彫刻や書などでも非常に良い念波が放射されているものもあれぱ、悪い恐ろしい霊波が放射されているものもあります。悪い絵や彫刻や書等の前に立つと全身に肌を刺す様な殺気というか妖気というものが突き刺さって来る様に感じるのであります。その様なことから絵や彫刻等で少しでも良くないと感じたものには近寄らない様にしているのであります。人間の想いでも他人の幸福を念願する人の念波は受けても非常に感じが良く、他人の不幸を喜んだりする人の念波は非常に感じが悪いのがよく判ります。そうして全ての人々がそれぞれ念波を出しているのであります。愛や誠や感謝の心に満ちた人から放射される念波は人の心を爽やかにしたり、幸福感や満足感や明るい豊かな感じ等を与えて呉れますが、怨みや憎しみや不平不満や疑い等の心から放射される念波は必ず人に不快な感じや嫌らしい、暗い、冷たい、恐ろしい感じ等を与えるものであります。念波は常に人の心に様々な影響を及ぼすのであります。故に決して悪い念波を出してはならないのであります。他人を怨んだり僧んだり軽蔑したりすれば心から悪い念波が放射されるのであり、悪い念波はそれを受ける人に悪い影響を及ぼすのでありますから決して出してはならないのであります。憎しみの心で手紙を書けば手紙からも憎しみの念波が放射されるのであり、邪悪な心で他人に物を送れば物からも悪い念波が放射されるのであります。故に私達は常に皆の幸福を願う心になり、話す時にも手紙を書く時にも贈り物をする時にも何か仕事をする時にも皆の幸福を願う心でしなければならないのであります。
 
 宇宙は神が創造せられたのであります。そうして神は宇宙の法則を定めて宇宙を統治して居られるのであります。そうして宇宙に存在するものの全てが神の定められた宇宙の法則に従って秩序正しく整然と運行することに依って宇宙の平和は維持せられ、宇宙に存在するものの全てが共存共栄を続けることが出来るのであります。人間もまた宇宙の法則に従って生きることに依って初めて幸福になり進歩向上出来るのであり、人間の社会もまた平和になり繁栄して行けるのであります。
「強く正しく明るく我を折り宜しからぬ欲を捨て皆伸良く相和して感謝の生活をせよ」「憎しみ、嫉み、猜み、羨み、呪い、怒り、不平不満、疑い迷い、心配心、答めの心、いらいらする心、せかせかする心を出してはならない」「与えられたことに感謝し、与えられなかったことに感謝せよ」という教えを実践する様に心掛けるならば、確かに心が浄化され神の光が心の中に入って来る様になり毎日を楽しく幸福に暮らして行ける様になって来るのであります。本当に正しい信仰生活とは神社仏閣教会などへ朝参り日参りなど熱心にお参りをすることでもなければ、祝詞やお経を熱心に読むことでもなく、熱心に写経をすることでもなく、熱心に祈ったり拝んだり、火の行や水の行をしたりすることでもないのであります。自己の邪悪な心や穢れた心や低級な心を洗い清めて正しく清らかで高級な心になる様に努力することであります。
 
 私達は自己の意志や力で勝手に生きているのではないのであります。神の意志と力と愛と恵みに依って生かされているのであります。神は人間を幸福にするために活かして下さって居られるのであり、そのために幸福になれる道を教えて居られるのであります。神に生かされていることを感謝することの出来ない人には本当の生きる歓びや幸福はないのであります。優良星界の宇宙人達は「地球人は空気を吸わせて頂いていることの有難さを知らない」とよく言います。地球人は、空気は無限に有り幾らでも無料で吸うことが出来るから一向に有難いとも尊いとも思って居りません。地球人は空気や水や日光の本当の有難さを知らないのであります。例えば地球人が月や火星へ移住しようとすれぱ空気や水を自然の状態で求めることは出来ず自分達の努力で生産しなければならないでありましょう。月や火星では人類が生存するためには空気も水も人間が生産しなければ生きては行けないのであります。優良星界人が地球人は空気の有難さを知らないと言っているのはそのことなのであります。地球人は空気を幾らでも無料で吸わせて頂いているのに有難いと思わず、感謝の心を持っていないのであります。地球は日光や大気や水に恵まれた星でありますが、宇宙には大気や水のない星も多いのであります。その様な星に住むことの出来る人々は余程高度の文明を創造した優良宇宙人であり、彼等は水や空気迄自分達の努力で生産しなければ生活できないのであります。その様な不利な条件の下で生活していても優良星界の人々は生かされていることを神に感謝していつも楽しく幸福な人生を送っているのであります。神に生かされていることに感謝し皆が仲良く相和して豊かに楽しく幸福に平和に生甲斐や歓びや希望に満ちた人生を送ることが出来るのはこの上なく有難いことであります。
 
 神の定められた宇宙の法則を知らずに自分勝手で出鱈目な生活を送って幸福になれたり進歩向上出来たりすることはないのであります。宇宙の法則に叛くことは単に自分1人が不幸になる丈ではなく宇宙の法則を守って正しく生きている多くの人々に迄様々な迷惑を掛けるのであります。そのために神は宇宙の法則に叛くことを厳しく戒しめて居られるのであります。字宙の法則を知らずに幸福になれることも進歩向上出来ることもないのであります。宇宙の法則を知らずに誤った人生を送れば自分自身も不幸になり他人をも不幸にするのであります。故に無知であり愚かであるが故に誤った生活を送ることも大きな罪なのであります。悪いと知っていながら罪を犯すことはもっと大きな罪なのであります。愚かなるが故に罪を犯して不幸になるのも、邪悪であるが故に罪を犯して不幸になるのもその人自身の責任であって自業自得であると言わねばならないのであります。しかし神は愚かなるが故に不幸になった人々や邪悪であるが故に不幸になった人々を決して喜んで見て居られるのではないのであります。愚かな者も賢明になり、邪悪な者も正しく清らかな者になり、皆が神の子に相応しい高級な人間になって皆が救われることを常に願い悩んで居られるのであります。それが限りなく尊い神の愛なのであります。故に私達もまた愚かであり邪悪であるが故に不幸に悩み苦しでいる人々を笑ったり卑しんだり見捨てたりしてはならないのであり、皆が賢明になり、皆が正しい人間になって皆が救われ、皆が幸福になれる様に努カしなけれぱならないのであります。それが尊い神の愛、神の御心に沿う正しい生き方なのであります。

 宇宙学を学んで真実の教えに接した時、過去の誤った人生に対する悔悟の想いが心の底から限りなく湧き出たのであります。人間の心では計り知ることの出来ない程限りなく大きな神の愛や恵みを覚ることの出来なかった私ではありますが、尊い神の恩や偉大な神の教えを覚り得たその日から神の教えのままに心を洗い清める修行に勤しむ決心をしたのであります。
 神は田原女史を通して現代文明の誤りや地球滅亡の危機をはっきりと教えられたのであります。そうして田原女史が教えを弘められるようになったのと時を同じくして私も田原女史とは反対の立場から人類滅亡の危機を救うための使命を与えられたのであります。しかし私が宇宙学を学ぶようになった時既に田原女史は亡く、宇宙学教室も有って無きが如き小さな存在でしかなかったのであります。それにも拘わらず神が私に宇宙学を学ぶ機会を与えて下さったのは宇宙学教室の再建とか発展を図るという小さな目的の為ではなく、宇宙学の偉大な真理を活かして1つの世界建設の大事業を実現に移させるためであったと言えるのであります。故に私が宇宙学を学ぷ機会を得た時、長い間、暗黒の世界であった地球に希望の朝が来たことを神界も霊界も共に喜び祝福して下さったのであります。私達には今新しい時代の黎明を見、輝かしい地球の朝ぼらけを仰ぐことの出来る日が来たのであります。
 
 日本民族に与えられた大使命は天孫降臨の時、天照大神から皇孫邇邇芸尊に授けられた天壌無窮の神勅即ち「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国はこれ吾が皇孫の君たるべき国なり汝皇孫行きて治せよ幸くませ天津日嗣の栄えまさむこと天壌と共に窮まり無かるべし」の御言葉を奉じ日本肇国の大理想である八紘一宇即ち全人類の利益と幸福と世界永遠の平和の約束せられる1つの世界建設の大事業を実現に移して行くことであります。
 
 宇宙学に於いては、日本皇室に皇孫浩宮徳仁親王がお生まれになった時から地球は宇宙間の牢獄、不良星界の一員の位置から優良星界と交流出来る位置に昇り、悪魔邪神の支配する地球から神の支配される地球へと変わったと述べられて居り、浩宮徳仁親王が日本の天皇としてのみでなく世界の天皇として1つの世界建設のための重大な使命を持って生まれて来て居られるのだということを説いています。しかしその意味は日本が軍事力や経済力で世界を統一するという意味でもなければ、日本の天皇が世界各国の王家を滅ぼしたり、世界各国を統一して世界の天皇の地位にお即きになるという意味でもないのであります。日本民族が皇室を中心として一致協カして世界の中心の国、世界の模範となるに相応しい日本の国を建設し、世界の全ての国々の人々と協力して理想の世界を建設していかねばならないということであります。

  季節の移り変わりや年の移り変わりと共に花は咲きまた散って行き、大自然もまた時と共に移り変わって行こうとも、皆の利益と幸福と世界永遠の平和の約束せられる理想の世界、神の世界はもはや栄枯盛衰治乱興亡を繰り返すことなく永遠に栄えて行くことが出来るのであります。「天津日嗣の栄えまさむこと天壌と共に窮まり無かるべし」と言われた天壌無窮の神勅の如く永遠に繁栄を謳歌することの出来る時代が今訪れようとしているのであります。遍く世界の隅々迄も照らす美しい太陽の光の下に世界の全ての国の人々が仲良く相和して繁栄と平和を祝い合う日がやがて来るのであります。いや私達があらゆる困難を乗り超えてその様な時代が一日も早く来る様に努カしなければならないのであります。