モ ナ ド の 夢

モ ナ ド の 夢

私たち人間は永遠に神とともに歩む存在である

  『悪と善は神の右手と左手である。』( ベイリー、 イギリスの詩人)



 宇宙学においては、オリオンの悪魔邪神の手下が龍神であると説いています。『日本全国ヤバい村(ミリオン出版、2008年刊)』に「寅さんの柴又は呪われた殺人街だった」と題するルポが載っていたので紹介してみたいと思いますが、これを読むと「龍神」が悪魔邪神の系統の存在であると推測できます。


「寅さんの街、或いは人情味溢れる下町‥‥そんな枕詞が思い浮かぶ東京都葛飾区。しかし、そこでは異常な事件が頻発していた。事件の裏側には忌まわしい因縁があるというが‥。1996年9月9日に起きた「上智女子大生放火殺人事件」、11年たった今でも犯人の手掛かりすら掴めていない。公訴時効の成立まで4年を切った未解決事件のその後を調査するため現場を訪れた。」
 「この事件の3年前には、現場から100Mも離れていない家で、男性が同居中の女性に刺殺されるという事件が起きている。不気味な事件が起こり始めたのは80年代からである。83年11月、精神的に不安定な男が、神社で銀杏拾いをしていた小学6年生の少年の首を絞めるという殺人未遂事件が発生。その5年後には、18歳の定時制高校生の少年が同級生の18歳の少女を絞殺し死体を庭に埋めているところを近所の主婦に見つかるという事件があり、この数ヶ月前には無職の男が幼女をレイプする事件があった。その2年後にはアパートに住む男が突然大家に襲い掛かって殺害しようとした事件があった。この様に80年代の終わりから90年代の初めにかけて、それまで普通だった人が突然正気を失って起こした事件がいくつもあった。柴又は都内でも特に治安が悪い地域ではないにも拘らずである。」


「柴又から南西へおよそ1kmほど行った所に青龍神社という小さな祠がある。ここに祀られている竜神様は雨乞いの神様であり、神社近くの怪無池には、その龍神様の使いの白蛇が棲むと言われている。この祠は新しく建てられたものであり、前の祠は昭和56年3月に火事で全焼してしまった。81年は柴又で事件が頻発するようになる少し前になる。ここは柴又から見ると坤(ひつじさる)の方角 即ち裏鬼門に当たる場所であり、柴又の帝釈天様が艮(うしとら)の方角にあって、いわゆる鬼門を守り、この青龍様は裏鬼門を守っていた。ところが火事によって裏鬼門の守りが崩れたことによって柴又の平穏が乱された。その結果、柴又で異常な事件が立て続けに起こるようになったのではないかというのだ。」
 「祠が全焼した直後、青龍神社から北へ1kmほど離れた道路のアスファルトの模様が突如、白い大蛇の形になった。その大蛇は火事で住処を失った龍神様の姿では、と人々は囁き合った。その後も「夜中に帰る途中、大蛇が塀を這い上がっているのを見た」「毎晩夢に大蛇が出て来る」と怯える人が続出した。竜神様がお怒りになっていると思った地元の人達は石碑を建てて竜神様を祀ったが、まもなくこの一体で水路の埋め立てと道路の拡張工事が始まったため石碑を移転した。そしてその間も柴又では恐ろしい事件の連鎖が続いていた。工事も終わり石碑が現在の場所へ安置されたのは、冒頭の放火殺人事件から2年後の98年のことである。それ以降、柴又ではかつての様な凶悪事件はぱったりと無くなっている。」


 
 また物質的悪(自然災害等)・肉体的悪の原因は、この物質宇宙そのものの創造者が悪魔邪神であるからである、という思想もあります。日本では「如来教」がそれです。
 
『原罪と泥海からの創造−如来教』 

1802年尾張の国百姓の娘であった「きの(一尊如来きの)」に「如来」の使者と名乗る金毘羅大権現(讃岐の金刀比羅宮の本来の祭神とされる)が神懸りした。金毘羅大権現は彼女に「如来」こそが宇宙万物の唯一の創造者だと告げ、天地の成り立ちから人類の発生、終末に至る道筋までを説いた。」
 「きのによると、太古の世界は「黒の泥の海」で獣の住処だった。如来は、この泥海を繕って大地を造り、天照大神に命じて75体の人間を造らせた。これら最初の人間は汚れのない清らかな人間だったので、やがて神となって天に昇った。この時、大地の司となっていた天照大神も一緒に昇天したので地上は神のいない世界となった。この留守を狙って伊勢大神宮の留守居である「魔道」が地に下った。魔道は自分達の種によって、人間の曽爾に当たる5人を創造し、そこから諸人が生まれ、殖えていった。」
 「そこできのは、こう言う。「汝等は、如来様のお世話で生まれ来たと思えども(中略)みな魔道の世話で生まれてきたぞよ」(『お経様』)地上に繁殖している人類は、魔道の世話で生まれた。天皇であれ将軍であれ、例外はない。天照大神が生んだ原人は神となって昇天しており、地上にいるのは魔道の子孫ばかりだからである。人間は、だれもが魔道の種を宿しているという説は、キリスト教の原罪説との関連が指摘されている。また、人間の魂は、地に堕ちて魔の俘囚となっているとするグノーシス神話にも酷似している。」
 「きのによれば、人類はその心に内在する悪の種ゆえに、このままでは煩悩に振り回されて自滅する。それを憐れんだ如来が、彼女を地上に送りつけた。というのも、人間の内心には、如来から授かった「能魂(よきたましい)」が、ほんのわずか(牛蒡種一つ)だが、宿っているからだ。」                           『新宗教の本』(学研刊)より抜粋

 如来教に酷似していると指摘されるグノーシス神話とは、3〜4世紀の地中海地方に流行し、ギリシャ哲学にも多大な影響を受けた、キリスト教最初にして最大の異端とされるグノーシス主義のことです。グノーシス主義者によれば、この汚辱に満ちた物質的世界を造ったのは、「悪の造物主」デミウルゴスであり、旧約聖書の創造神ヤハウェの正体がそれだとされます。人間が罪深いのも、悪神デミウルゴスによって肉体を創造されたからであり、肉体の中に宿っている私たちの霊は、この悪神によって肉体の中に封じ込められているために、常に惨めな状態で暮らしているのです。「物質的な世界は悪である」というグノーシス主義者の主張は、イエス・キリストも「物質世界の王は悪魔である」と述べているので、この点はキリスト教と矛盾しません。
 その否定的な世界観のため、「反宇宙的二元論者」とも呼ばれたグノーシス主義者は、当然のことながら異端として迫害に遭い、歴史の表舞台から消え去りました。しかし彼らは、単にニヒルな世界観を持っていたのではなく、デミウルゴスが人間の肉体の中に、汚れなき「霊的な種子」をこっそりと埋め込んだため、「霊的認識(グノーシス)」により悪なる物質世界から離れ、人間は光の存在である至高神と一体となることができると考えていたのです。


「至高神と一体」となった状態とはどんなものでしょうか。『体外への旅』の中で、著者のロバート・モンロー博士が体外離脱し、宇宙の最上層、すなわち天国へ行った時の様子について、次のように描写しています。

 「それは純粋の平和に包まれながら、しかも強い感情に満ちた世界だった。そこでは互いに切り離されて存在するものは何ひとつなく、私は、上も下もない、温かく柔らかな雲の中を、周囲とひとつに溶け合って漂っているような気がした。周囲の温もりは私自身の温もりであり、世界は完全なひとつであって、私はその一体感を半ば呆然と味わっていた」
 周囲には様々な色の光線が射し込め、完全なハーモニーをもった音楽が響き渡っていたといいます。
 「あらゆるものがいとおしい。これこそ私の魂が求めていた世界だ。私は今“魂の故郷”に帰っているのだ」
 「ここはまた真理の世界でもある。地上の生活ではほんの一端にしか触れることのなかった宇宙の真理を、ここでははっきりと知ることができる」
 「ここでは、もはや姿を持たない魂が、すべて完全な愛、地上では決して成就できない天上の愛によって結びつけられ、交わり合っているのである。この魂の絆によって、私たちはひとつの全体、すなわち魂の故郷に包含される。そしてその奥に、私たちは私たちの知覚と想像を越えた全存在の源、すなわち“神”を直感するのである」
 この領域から戻ってきたモンローは、激しい郷愁と孤独感に何日も襲われたそうです。
 「全てがあまりにも異なり、あまりにも“間違っている”世界で、見知らぬ人間たちに囲まれているように思えた。痛切な孤独感、郷愁、あるいは一種のホームシックのような感情が、私をさいなみ続けた」


 モンローは、天国と表現していますが、「至高神と一体」となった状態を窺い知ることができます。私達人間は、人間として存在する前にこの想像もつかないような至福の状態で存在していたのであり、数え切れない転生を繰り返し、人間としての壮大な旅を終え、いつの日かこの“魂の故郷”に帰還するのでしょう。思えば、なぜ私達人間が、幸福、美、真理といった理想を求めて止まないのか、その理由が理解できます。

 ここで思い出すのは、哲学者カントが『実践理性批判』の中で述べている次の言葉です。
 
「人間の持っている願望と天性は、この地上生活に於ける必要を遥かに超えた高いものである。それは地上生活の必要と比べてみて、全く均衡がとれていない。だが、自然の持つその手段と目的とには、いつでも均衡のとれていない不必要なものは全くないところから考えると、人間の持つこれらの能力と願いとが、死後において充分活用される時期があると結論せざるを得ないのである。」
 誰しもが頷ける言葉ではないでしょうか。それは、宇宙の至高の存在と私達人間が究極的には同質の存在であるからだと思うのです。





「いつの時代でも一番の秘密は、神がドラゴンの姿形をしていることだった!」という見出しに目が止まり『クラリオンからの伝言 超次元スターピープルの叡智』を読んでみました。30年ほど前に異星人にアブダクション(誘拐)され、その後もずっとコンタクトを取り続けているイタリア人カヴァーロ氏を共著者の先史文明研究家の浅川冨嘉氏が日本に呼び、長時間にわたってインタビューしたものです。以下、要点をまとめると、

クラリオン星は、地球から15億光年離れているが、直線的に飛行して来ているのではなく、彼らの高度なテクノロジーを使って、次元を折りたたんで距離を縮めている。

クラリオン星人が爬虫類に自分達のDNAを移植する遺伝子操作をして、我々人間型生命体を創った。世界中にドラゴン・竜伝説が残っていることがその証拠である。

アセンションとはDNAのビッグチェンジのことであり、生きたまま高次元存在に変わる

アセンションでは、人間性のレベルに応じて、つまりどうしようもない人たちは消滅させられ、アセンションしきれなかったレベルが高くない人たちは木星に移り、いわば補習として原始時代からやり直すことになる。高い周波数を持つ高レベルの人たちは、宇宙船に乗って超高度文明惑星に移る。

 クラリオン星人が爬虫類に遺伝子操作をして、我々人間型生命体をつくったとされる説を裏付ける科学的な証拠として、イタリアの新聞『イル・ソーレ・ヴェンティクワトロ・オーレ』紙(掲載日 2008年10月23日)に掲載され、大変注目された「スペース・インベーダー・エイリアンのDNA発見」と題する「4600万年ほど前に、ほ乳類と爬虫類の遺伝子に進化の進展をサポートする人工的操作が加えられたことを示す重大な証拠が、テキサス大学アーリントン校の研究者たちによって発見された。」という内容の以下の記事も引用されています。

テキサス大学アーリントン校の研究者たちによれば、エイリアンの侵略を証明するものが、少なくとも遺伝子レベルでは存在する、とのことだ。セドリック・フェショット博士の研究グループは、数種のほ乳類と爬虫類のゲノムに、通常の遺伝メカニズムでは伝達されることのない遺伝子の水平伝播による異質な遺伝物質を特定した。遺伝子の水平伝播とは、ウイルスでみられるような、宿主のゲノム内部に外来性の遺伝要素が侵入する現象で、原核生物の進化過程では頻発するが真核生物では珍しい。
 しかし、アーリントン校の研究者たちは、ネズミやオポッサム、数種のコウモリ、さらには、ほ乳類や爬虫類のDNAに、正常な遺伝メカ二ズムでは伝達できない塩基配列を発見した。研究者たちはこの異質な塩基配列を“宇宙の侵略者(スペースインベーダー、スピン)”と命名し、その奇妙な現象を強調した。これは、ほ乳類で初めて確認された水平伝播で、1500万から4600万年前の間に遺伝子の取り込みがなされたのではないかと見られている。遺伝子の“宇宙の侵略者”はDNAに塩基を挿入しただけでなく、「染色体の構造に特定の変化を促し、進化の進展をサポートした」のであろうというのが研究者たちの見解だ。』


巻末には『先代旧事本紀』という古文書から古代天皇について以下の引用がなされています。

 【現代文による要約】
神武天皇  背の高さは約3メートル15センチ、胴回りは、両手を伸ばして一抱えした長さに15センチほど足した長さ。頭には9センチほどの角が2本あり、それはまるで雪のような色をしています。背中には龍のような背ビレがあり、その長さは1メートル20センチ、尾の裏側には大きなうろこが72枚あります。105歳のときに皇太子の位に就かれました。

◎綾靖天皇(2代、在位BC581年〜)
身長は3メートル、目は黄色に光り、まるで水星のような輝きを放っています。背中にうろこがあり、怒られるときにはそれが逆立ちました。その武術は人に勝るので軽々しくものを言えませんでした。

垂仁天皇(11代、在位BC29年〜)
背の高さは約1メートル80センチ、髪は右曲がりに頭を9周するように生え、頭頂部で輪のように巻いてとどまっていました。両脇の下には金と緑の羽を持ち、肘にも同じような羽が根ざしておられました。

◎神功天皇(14代天皇の皇后、在位AD192年〜)
ご容姿は非常にたおやかで美しく、その目には2つの瞳をお持ちでした。乳に9つの穴があり、力は強く建物の柱を揺るがすほどでした。

応神天皇(15代、在位AD270年〜)
背の高さは2メートル90センチ、肘には弓を射るときの「鞆」という丸い当て皮のような形ががありました。顔の真ん中の角は天に向かってまるで弓に矢を番えたかのようでした。胸には72本の青い毛が牛の尾のように生えていました。その長さは馬の尻尾ほどで、とても強く根ざしていたので最後まで抜け落ちることはありませんでした。


「ソラからの伝言」によれば神武天皇はワニと人間の掛け合わせの血統であったらしく、それゆえ、時代劇でよく見られるように、御簾の奥に隠れて姿を見せなかったらしい、とのことですので、クラリオン星人の情報ももしかしたら事実かな、と思えます。
 人類の多くは他の惑星に移るという説は宇宙学と酷似しています。(宇宙学では、他惑星へ移るとされるのは人類の3分の2)気になる点は、クラリオン星人は宇宙学では、邪悪な宇宙人として紹介されていることです。(「神霊星界通信記録」第5巻24p)爬虫類に自分達のDNAを移植して人間を創ったというなら私達人類の親のような存在ということになります。それならもっと友好的にコンタクトして来る筈ではないでしょうか?それが誘拐して秘密を教えるという手荒な行動を取るのがどうにも解せないのです。そして産みの親的な存在なら、どうして飢餓や戦争やテロを見て見ぬふりをしているのでしょうか。「それは人類が自ら解決すべき問題である」「人類が愛に目覚める必要があるのだ」とかいったお決まりの説教でも垂れるのでしょうか。最初に思いっきり介入したのなら、最初からもっとましに創っておくべきでは?と言いたくもなります。
 そしてもう1つ怪しいのは、宇宙の『闇の勢力』についてその存在を認め、それらが「龍(ドラゴン)爬虫類人類と呼ばれてきた、神に近い存在である自分達を悪魔扱いしてきた、近づくアセンションを邪魔しようとしている。」とだけ言葉少なく批判し、何故かそれ以上あまり言及しようとしていない点です。クラリオン星人はかなり怪しい、彼らこそ悪魔邪神系統の宇宙人では?と思うのは、私だけでしょうか。


 宇宙学について私見を述べる前に、船井幸雄氏と陰謀史観研究家として著名な太田龍氏との対談形式の共著である『日本人が知らない「人類支配者」の正体 』(ビジネス社)から内容を少しご紹介したいと思います。船井氏は精神世界では有名な方なので御存知の方が多いとは思いますが、簡単に紹介すると「1933年、大阪生まれ。京都大学農学部農林経済学科卒。約350人の経営専門家を擁するわが国でも最大級の経営コンサルタント会社、株式会社船井総合研究所の創業者であり、船井総研グループ約30社の総帥。また、人生コンサルタントでもある。“経営指導の神様”といわれ、顧問先は約8000社に及び、著書も約250冊に及ぶ。」といった実業界において著名な方であり、また船井氏は、宇宙学の御大であり電波工学の世界的権威として知られる故関英男博士から多くの教えを受けたとのことで、それは次の内容からも窺えます。

「基本的には宇宙や地球というのは、やはり一つの大いなる意志というか、「サムシング・グレート」がつくり、動かしているとしか考えられないのです。私の考えでは、サムシング・グレートは自分も成長したい、楽しみたい。いろいろなものが成長して、世の中が良くなるようになれと思って、「エイッ」と号令をかけたら、宇宙や地球やいろいろな生物もできるようになったのだと思うのです。しかもサムシング・グレートは自分でそれら全部を管理できないから、それらができるのも自動的であり、その後も知的に発達した生命体にそれぞれ分担させて管理するようにしたと考えられます。もちろんこれは仮説ですが、他に考えようがありません。」

「 私は経営コンサルタントとしていろいろな人の生き様を見てきました。その結果感じたことを一言で言えば、今の地球は「地獄星」と言えそうです。決して「極楽星」とは言えないでしょう。多くの人を見ていると、人は苦労するためにこの地球に生まれてきたとしか考えられません。
 そこで考えたことは、今から何千年か前に、太陽系のいろいろな惑星のなかから不良な人間ばかりをこの地球に集めて、ここで修行させようとしたのではないか。だから、地球は今のところ「不良星」なのです。人々を修行させるために次から次へといろいろなことが起こるわけです。ともかく、「生老病死」という苦労を人類に与えたのです。そして、地球に生まれ変わって何度も修行し、卒業したら極楽星に行ける。卒業できなかったら、また地球に生まれ変わるのです。いわゆる輪廻転生です。」
 「『未来へのヒント』(サンマーク出版)という本でも詳述しましたが、今迄の地球は、エゴ中心に発想し行動する、知的生命体の人間が中心になって行動していた星でした。このような発想と行動をする人間を「不良星(界)人」といい、そういう知的生命体中心の星を「不良星」だとすると、まさにそれは今迄の地球人類と地球の姿です。しかし、宇宙では、全てが生成発展するようになっており、宇宙で生起したことは全てが必然、必要でベストになるように仕組まれているはずです。 そこで地球が今、不良星であり、地球人が「不良星(界)人」であるというのも、生成発展のプロセスにおける必然、必要でベストのことと判断し、理解すればよいのです。多分、その方が、生命体の本質=霊魂の発達がスピーディに行なわれやすいからなのでしよう。」
 「ともかく不良星、不良星人レベルを通過することが、地球や地球人や他の地球上の動植物などにとっても、生成発展するためには必然、必要、ベストのことなのだと思いましょう。ですから、我々が正しく努力しますと、地球が優良星になって、地球人も優良星人になれます、そこは生まれると、楽しくてしょうがない星です。こんな星に地球がそのうちに、生成発展して変わるのでしょう。あるいは、また1万2,3千年前と同じように、地球が破滅し、人類は一から原始人として不良星としての地球で苦労するのかどうかもわかりません。今はちょうどその分岐点のように思うのです。私は、人間はサムシング・グレートによって特別な意図で創られた特別な存在だと考えています。」                                               (p183-186)

 これは私見なのですが、宇宙学で説く様に、全ての地球人が優良星界から追放された人々というわけではなく、地球で生まれ人間として生き始めてまだ日の浅いつまり幼い魂の持ち主、言わば「本来の地球人」とでもいった人たちとの混成チームではないかと思えるのです。というのも、知能・人格面に於いてまだ発達の程度の低い人たちもかなり多いわけであり、そういう人たちと同じ社会で暮らすのは何かと不快な思いをさせられることも多いのであり、それも刑罰の1つではないかと思えるのです。その意味では宇宙学での「不良星」という表現は「発展途上星」とでもいった表現が相応しいのではないだろうかと思います。




 神界は、正神界と邪神界に分かれており、白と黒の勾玉が合わさっている陰陽の印がありますが、その、白と黒の勾玉が2つ向き合って合わさっている陰陽が、正神界の正神と邪神界の邪神を表しており、そして、正神界の光の世界の良い神様と邪神界の悪神との間に、私たち人間は存在している、とされています。こういった事からも「霊の世界は本来、正と邪、善と悪、プラスとマイナスという二元の世界に分かれているのであり、善も悪も共に栄えるのが正しい。」という安原氏の神観は正しいように思えます。
 
霊的存在による通信では、少し昔までは悪魔、最近では「宇宙の闇の勢力」といった表現で宇宙におけるネガティヴな存在者を認めているケースが多く、やはりその存在は確かであろうと思います。悪魔邪神も宇宙の本源(神)から産み出されたものならば、「神がこの物質宇宙を創造した」というのも「悪魔邪神が創造した」というのも結局同じことになります。問題は、悪魔邪神といったネガティヴな存在が、なぜ存在するのかということです。

 この疑問に対し、モンローによる別の著作『究極の旅』で、モンローが体外離脱中に出会った、人間とは違う系統の高度な生命体が語ったとされる「人間としての記憶や経験は、人間でなくなった時に大きな価値を持つ」「人間出身の生命体は、宇宙ではとても尊敬される」という言葉が1つのヒントになるように思います。つまり多くの宗教やチャネリングが説く様に、人間以外の系統の生命体も存在し(代表的なものは、高貴な存在である天使のような存在)、それらとは異なり、人間は悲しみ、苦しみといったハードな経験を通して、鋼が熱せられ打たれ硬くなる様に進化していく存在であり、悪魔邪神と呼ばれる存在は、次から次に過酷な課題を課す、人間という種族を鍛えるための鬼コーチ的な存在として存在しているのではないかと思うのです。

船井氏の「人間はサムシング・グレイトによって特別な意図で創られた特別な存在」という考えは正しいと思います。人間はサムシング・グレイト(従来、神と呼ばれてきた存在)とは切っても切れない、親子の様な関係であり、サムシング・グレイトから最も期待されている(故に、困難な環境を与えられ厳しい修行をさせられている)、いわば宇宙に於けるエリート的な存在ではないかと思えるのです。